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Connecting the Dots (点と点を繋げて線にする)・ First Dot

Steve Jobsが、2005年にスタンフォード大学の卒業式でスピーチをした時、
”connecting the dots”というフレーズを使って、一見関連性のない過去に起きた出来事の点と点を、線で繋げるという話をした。

その時に起きたことはその時は解らない。時間が経ってその時に起きたことを振り返ってみないと理解出来ないという意味だ。

これから書くことは、一見するとバカバカしいことで、ただの推測に過ぎない。
それでもこれらのことを書く作業は、頭の中のドットを整理して繋げるために必要な作業なのだと思う。

・First Dot  (一つ目のドット)
1985年8月12日
JAL123便の御巣鷹山墜落事故について

負傷者4名、死者520名という大惨事を起こしたこの飛行機事故は、単独飛行機事故としていまだに歴史上最も多くの死者を出したことで知られている。その中には驚くほど多くの著名人、関西経済界の大物3名や17名の松下の天才エンジニア(詳細は後ほど)が乗っていた。
参照:日本航空123便墜落事故

・プラザ合意と大規模小売店舗法の廃止

その1ヶ月後(9月22日)にプラザ合意という貿易摩擦を解消するための取り決めが行われた。それまで1ドル260円だったのが一気に150円になったものだから、日本経済は未曾有の大混乱となった。アメリカから日本への進出が止まらなくなり、ダムが決壊したようにドルが日本の市場へ流入した。

大規模小売店舗法がアメリカの圧力で廃止されたのはその5年後の1991年で、このプラザ合意に端を発しているのは間違いない。
ちなみに田舎で小さな小売店を営業していた父のお店が、同年夏に倒産したのもこの影響が大きかった。
「近所に大店舗スーパーが出来て、一人も客が来なくなった」と嘆いていた。

その後の日本経済は、バブル創出、崩壊、金融ビッグバンによるM&A、外資ハゲタカファンドの進出、そして郵政民営化と米国国債購入などで膨大な円の流出で国の経済力は落ち込み、失われた10年と言われる時代に突入していく。

ことの発端であるこのJALの御巣鷹山墜落事故については、様々な陰謀論が噂されているが、それらの陰謀については色々なサイトや映像がアップされているので、彼らや専門家の意見を参考にしてもらえればと思う。
参考サイト:JAL123便墜落事故、真相を追う
参考書籍:日航123便 墜落の新事実

・17名の松下の天才エンジニアと
「TRON(トロン)」について

「TRON(トロン)」とは、当時「マイクロソフト」と「マッキントッシュ」が広がっている中で、純国産で開発された日本版のOS(オペレーティングシステム)だ。OSとは、今のWindowsと同様のソフトだが、当時のマイクロソフトは、DOSというWindows以前のものを開発販売していた。
そしてTRONは、日本のコンピューターのメインのOSとして、日本では本格的に使用されつつあった時だった。

1989年にアメリカが貿易不均衡を主張し、米国の国内法である「スーパー301条」を主張。「TRONを日本政府が応援するのは市場への介入だ」と、TRONがやり玉に挙がった。アメリカは、世界のOSが「TRON」になることを恐れたのだ。そしてその後、TRONは衰退した。

今思えば、アメリカがTRONを脅威と思う理由が解る。しかし何せ当時はDOSの時代で、今のように殆どのコンピューターにWindows が使われているような状態ではなかった。

もしこの飛行機事故が誰かの陰謀であり、意図的なものであったなら、必ず動機が必要だ。そして「このトロンの開発を阻止したいがゆえに事故を起こした」という説がある。

TRONがその価値に値するほどのものであったことは言える。国防上の大きな脅威であったことは間違いない。コンピュータを制御する「OS」技術の重要性を、アメリカが考えないはずはなかった。

だがしかし、それは「未来の世界から来た人の意見を参考にして事故を起こして500名以上の人たちを殺害した」というようなもので、動機としては弱いとしか言いようがない。

・事故があった晩のこと

事故があったその日、僕は群馬県上野村近くにあったキャンプ場でバイク仲間と一緒にキャンプをしてた。

その夕方だった。
「ドーン」と突然、地面から衝撃が伝わった。少し遅れて、あたりの空気に響きわたる突風も来た。
直下型地震だと思って次の振動に備えて心の準備をしてたら、何も起こらなかった。

「火の玉が落ちてきた」
外にいた友人が、「とんでも無いものを見てしまった」という顔をして、慌てて部屋に入ってきてそう叫んだ。

「火の玉」の意味が解らなくて、何を言っているのかよく解らなかった。興奮してはいたが、嘘を言ってる様子では無かった。しかしあまり深く聞いてはいけないような気がして、そのまま聞き流した。
その夜は何も特別な事は無く過ぎていき、僕らがいたキャンプ場はあたり一面真っ暗になった。

「隣のロッジでキャンプしていた人が、幽霊を見た。沢山の人が出てきたらしい」そう、一緒にキャンプしていた人が言った。

地震に火の玉、それに幽霊?
何の事だかさっぱり解らなかったが、あまり気にせずに眠りについた。

そして後から、僕らがいた隣の山で飛行機が墜落して、500人以上もの人々が亡くなったとニュースで知った。あの時の地震のような衝撃は、飛行機が落ちた時の衝撃だった。

「いのち」というのは、本当に、簡単に亡くなってしまう。
どこかにある、この世界を動かしている歯車みたいなものが少しずれただけで、誰かが助かって、誰かが亡くなっていく。

あの時に亡くなられた方々を思い、『いのち』の大切さを思う。

・僕が見た夢

あの朝、起きた時には汗でびっしょりだった。あまりにも衝撃的な夢で、忘れないようにと思ったのに、すぐに忘れてしまった。
そして2017年11月09日に上野村でヘリコプター墜落事故が起きた。そのニュースを見ていて、30年ほどの時を経て、あの晩に見た夢を思い出した。

そこはまっ暗で、真夜中だった。地面には火事なのか、いくつかの場所から火が出てて燃えていた。

何人もの人たちが怪我をしていて、数人は死んでいた。立ち上がってウロウロとまわりを歩いていた人もいた。服装は黄色や赤など、割と派手めの服を着ている人が多くて、まるで観光客のような感じだった。

そんな人たちが何故こんな田舎の暗いところに、しかも怪我をしているのか、理由が解らない。それでも何か大変な事が起きたのだろうとは推測できた。

数機のヘリコプターの音が聞こえてきて、山々に響いてこだました。いく筋ものサーチライトに照らされて、軍人のような男たちが降りてきた。

「助けに来てくれた」
みんなそう思っていた。顔には笑みが浮かんできた。

しかし驚いたことに降りてきた軍人たちは、生き残った人たちを殺し始めた。

まだ生きている人たちを、火炎放射器のようなもので、逃げ惑う、明らかに民間人と思われる人たちを、そして横たわって怪我をしている人たちまでもを殺し始めた。

「やめろぉ。俺たちは民間人なんだぁ」
そこはもう戦場のようだった。
逃げようとする男、女性、そして子供までもが次々と殺されていった。

どうやら軍人たちの話している言葉は日本語ではなかった。
どうやら英語のようで話が通じない。

「此処は、日本なのか?
まさか、こんな事が日本であるわけが無い」
誰かが驚いた顔をしてそう叫んだ。

次々と死んでいく人たち。
僕は何も出来ずに、怖さで立ちすくんで、ただ殺されていく人たちを見て震えていただけだった。
すると、今殺された男性が立ち上がったかと思うと、僕の方へ歩いてきた。

彼はもう死んでいた。だってそこに彼の身体が横渡っていた。それなのに、彼は僕を見つけて僕の方へ歩いてやってきた。
僕の身体は震えていた。足がすくんでいた。

「君、生きているんだろ?驚かすつもりは無かったんだ。ただ君を心配して声をかけたんだ」
銀縁メガネが印象的な優しそうな男性だった。
僕は怖さのあまり何も答えられなかった。死んだ人に声をかけられたということがショックだった。

「これは夢なんだ」
「そうさ。こんな事なんて、ただの夢だよ。もう眠って忘れなさい 」
「ああ。これは夢なんだ。夢の中だから何が起きても不思議じゃ無い」
彼がそう言うと僕は落ち着いてきて、睡眠薬を飲んだように深く眠った。


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