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「自分にウソをつかない」ということ。

こんにちは。ハルカです。昨晩はてなIDを取得してブログも作ってはみたのですが、編集画面で「なんか思ってたのと違う!!!これじゃない!!!」と思い静かに閉じました。打ったのがそのままパンパン文字になる心地よさが感じられなかった……。そういうところ、noteはすごく優秀だなあと思います。

で、こういうなんというか、良し悪しについての主観的直感を大事にするのって、めちゃくちゃ大切だなあと思います。それは自分にウソをつかないことでもある。

先日、「もしかしてわたし、インターネットのことそんなに好きじゃないのかもしれない……!?」という、1日のうち画面を見ている時間がめちゃくちゃ長い自分にとっては驚きな発見をしたんですけれども。それって、まあ他者の悪意がそこら中でふわっふわしてることとかも原因なんだけど、それ以上に「本当に自分に正直ではいられない」っていうところがあるなあ、と気付きました。だから、正確には「インターネットで発信するのはそんなに好きじゃない」になるのかも。あ、ここでいう「本当に」っていうのは多分「最大限に」とかって意味です。

まあしょうがない、当然のことなんだけど、インターネットで話せることって限界がありますよね。色々話しちゃまずいこととかもありますよね。まずいっていうのは、倫理的に問題があることとか、所属しているところに迷惑がかかるかもしれないこととか。だからわたしは、インターネット上ではずーっと半分以上は匿名の存在でいたいなって思っていて、その実現のために内容に合わせてアカウントやツールを分けたりもしています。

でも、時々そういうのめっちゃめんどくさくなるんですよね。いや、書いてるの自分一人なのになんでそんなに分けなきゃいけないのよ……って。自分でやってることなんですけど、そういう配慮をしないと色々保てない、誤解されるインターネットめんどくさいなって。わたしは自分の書いたものとか、自分が誤解されることに対して多分めちゃくちゃ耐性がないんだと思います。そういう、何事も本気になっちゃうところとかはある意味すごくインターネット不向き。……えっと、なんの話をしてたんでしたっけね?

まあまあ、そんな感じで、インターネットに対する主観的直感を最大限に活かしながら、「自分に正直に生きられないことはしんどいっすわ〜〜〜」みたいなことを書いてきたわけですが。

じゃあ正直でいられる場所ってどこなんだ? って考えると、不思議なことに結局リアルなんですよね、わたしは。意外だ、ちょっと前までは現実こそ本音とたてまえを使わずにはいられない、いつも正直じゃいられないぜ〜〜〜とか思ってたのに。実世界も素晴らしいもんなんだな。基本的にはデータ残らないし、不用意な発言をしても叩かれないし、真意が伝わってないなと思ったらその場で修正できるし。楽チン。むしろ今となっては、インターネットよりリアルの方が付き合う人を選べるかもしれない。インターネットは通りがかりにぶん殴られたりする。あ、でもこれはリアルでもあり得るか。どちらかといえば、インターネットのがそれに遭遇する可能性が高い……かも? そんな感じの理由もあって、最近リアルでの、オフレコの関わりの素晴らしさを再認識しました。ありがとうインターネット。

自分にウソをつかないこと精神衛生に超いいよ、って話がしたかったはずなんだけど、気づいたらなんか関係なさそうなことをダラダラ書いてしまった。まあいっか。これも自分に正直になった結果ということにしちゃいましょう、ね。

とにかく、自分なんてどんどん変わってくものだし、「前はこうだったのに……」とか過去にとらわれず、今の自分の感じてることに正直に生きたいね!って話でした!おわり!

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