い

「い」インターネットで心をすり減らさないために

「い」で始まるもの、思いつくのは他にもいろいろあった(と言っても「いちご」とかそういう類のものだった)んだけど、せっかくだから以前書こうかなあと思ったものの、なんとなく気分が乗らず書いてこなかったものを引っ張り出してみようと思う。むやみやたらに心を疲弊させないインターネットの使い方について。

そもそもなんでそんなことを考えるかというと、わたしが言葉にめちゃくちゃ影響を受けやすい人間だからだ。〜な人間、という言い回しはあんまり好きじゃないんだけど、使ってみると便利ですね。

わたしの親族は温厚で丁寧な言葉づかいをする人が多くて、乱暴な言葉に親しむ機会がなかった。そのせいもあってか、わたしは本当に荒い言葉や汚い言葉、そしていわゆる「正しくない言葉」も苦手だった。ら抜き言葉とか。それについては、いまは随分気にならなくなったし、おかげで自分も言葉を発するときにやたらと神経を使うことはなくなってきた。ありがたいことだ。

話が少し逸れてしまったけど、そういうマイナスの印象を持つ言葉への慣れが浅いわたしは、インターネットにしんどさを感じることも多々ある。言葉づかいが汚いものに対してだけではなくて、正論で他人を潰しかけている様子や、悪意のこもった敬語を見ていると本当に気分が沈んでしまう。よく言えば言葉への感度が高く、悪く言えば引っ張られやすくガードができない。

もしかしたら、わたしが文章から勝手にマイナスの感情を読み取っているだけなのかもしれない。そこにはなんの意思もないのかもしれない。それでも、そう感じてしまうということは事実なので、無になって文字を読めないならば早めに撤退するしかないのだと思う。やばいと思ったらその場を離れる、という方法は、いろんな場面で応用が効く。

ただ、本当に残念なことに、人は嫌い・苦手なものに近寄りがちだ。この心の働きには名前がついていたと思うんだけど。怖いものを怖いとわかっていて見てしまうとか、そういうやつ。

自らショックを受けにいってしまう、ということは、インターネットに限らずわりとあると思う。なんとなく、苦手な人のツイートを追ってしまったり、嫌いな人を目で追ってわざわざ嫌なところを確認してみたり、元カレや元カノのFacebookを覗いて自分の後釜を確認してみたり。

それがクサい靴下を嗅ぎにいくみたいな、自分をごくわずかに痛めつけ、楽しむようなレベルならいいと思うんだけど、予想以上に傷ついたり、泣きたくなったり、めちゃくちゃ腹が立ったりするレベルだったら、ほんとにやめたほうがいいと思う。時間と心がもったいない。自分で自分を傷つけるのって、一種の気持ち良さを伴うこともあるからクセになるし、より強い刺激を求めるようになりがちな気がする。

リプライで暴言を吐かれたら、ブロックで対応。積極的に攻撃してくるものに対しては、人は比較的自分を守りやすいと思う。でも、なぜか自分から不快なものに近寄ってしまうことがある。ほんとに不思議だけど。そして、そんなとき、大抵ガード機能はうまく発動してくれない。

わたしも最近気づいたのだけど、時間ってほんとに貴重だ。今のところ、どうあがいても1日は24時間しかないはずだし、わたしはよく寝るからその3分の1は睡眠に割り当てられるし、勉強したり遊んだり働いたりしてたらあっという間に終わってしまう。

その合間の貴重な時間を、きらいな人や苦手な物事に捧げるのは本当にもったいないと思う。自分から傷つきに行く人を止めることはできないもんだなあと実感することは多々あるけど、どうか自分の体と心と時間の大切さを思って、踵を返して全力で、楽しいものや好きなものにつっこんでいってほしい。

(時間はかりわすれた、1520字)

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