足元

イスラエル観光 ~ エン・ゲディ、テルアビブ、ハイファ ~


 ここ2週間ほど、日本に襲来した台風15号と19号に関する報道を、僕もイスラエルからメディアやSNSなどで追っていました。関東や北陸、東北地方を中心に、人的・物的共に近年稀に見る甚大な被害が発生していると把握しています。

 僕は関西の出身なので、大きな被害のあった地域に直接の知り合いはあまりおらず、ニュースで知る以上の具体定な被害状況はわかりません。ですが、そのわずかな情報からでも想像し得る、被害に遭われた方々の苦労、大量に生まれてしまった遺族の方々、破壊された人々の生活を思うと、失われたもののあまりの重さに圧し潰されそうになります。心より、お見舞い申し上げます。

 また、今回の台風被害に関連して、政府や自治体の対応やそれへの反応が問題視される事案がいくつかあったようです。それぞれに対して僕も色々と考え、思うことはあるのですが、とにかく大事なのはその話題を一過性にせずに問題提起し続けることだと思います。今回議論の的になった事案の中には、もともと社会の中にあった見えない問題が、災害という緊急事態にあって露骨な形で表出した、と思えるものもありました。見えない問題が可視化されたこの機会に、重要な構造の問題点や、我々の無意識的な認識の誤りを、解かれるまで忘れずに話題にし続ける必要があると思います。同じことを繰り返さないためにも。





さて今回は、留学開始からの一か月の間に訪れたイスラエルの3つの都市について、簡単な観光レポートです。内容は僕の直接的な体験と感想に基づいているため、各都市の情報を網羅し紹介するものではないですが、ご容赦ください。


 一つ目の都市は、イスラエル南東部、ヨルダン川西岸地区のすぐ下に位置する死海西岸の街、エン・ゲディです。

 ヘブライ大学のRothberg International Shoolのプラグラムの一環で、9月最初の週末に1泊2日の Weekend trip として行ってきました。なんとこのトリップに参加するだけで4単位もらえます。なんじゃそりゃ。


 エン・ゲディの観光資源といえば、まずは死海。イスラエルの観光地として、日本人にも最も知名度の高いもののひとつではないでしょうか。

 ご存知のように死海は塩分濃度が非常に高く、それゆえ生物が生息できないことが名前の由来です。海抜-418mと極端に標高が低く、凄まじい暑さで蒸発する水分量が流入する水量を上回るため、濃縮されて塩分濃度が高くなる、という仕組み。水温も、夏場の水たまりのように高くなっています。

 水面に浮かんで本を読んでいる写真をよく見るように、死海ではヒトの体もぷかぷかと浮きます。でも実際のところ、死海に入るにはかなり色々なことに注意しなければいけません。なにしろ目に入ったら失明する危険もあるほどの湖水なので、顔には絶対に水がかからないように気をつけないといけないし、体にちょっと傷でもあろうものなら文字通り塩を擦り込まれるように痛みます。つまり、死海の中では水しぶきを上げるようなことはできず、結局上を向いて浮かんでいることしかできない、というわけです。

死海

  見た目にはとても綺麗。対岸に見えるのは隣国ヨルダン。

 ちなみに湖水の味はというと、しょっぱいとかではなく、「ものすごい刺激と強烈な苦み」です。それはもう、舌に一滴のせただけで悶絶するほど。好奇心で舌の先っぽを水につけた友人が、あまりの衝撃で思いっきり水しぶきを上げそうになって大惨事でした。

 死海の豊富なミネラル分は高い美容効果でも広く知られており、湖底から採れる泥やミネラルは美容商品の原料としてイスラエルの重要な産業資源となっています。同時に、その資源の権利を巡って対岸のヨルダンとの対立を引き起こしていたり、湖底資源の採りすぎと温暖化の影響で死海自体がどんどん小さくなっていたりなど、死海は政治面でも環境面でも語ることの多いトピックでもあります。


 

 その死海を臨む砂漠の山の上に、マサダという世界遺産があります。マサダとはヘブライ語で要塞の意味で、その名の通り、古代ユダヤのヘロデ帝によって建設され、紀元73年にローマ帝国によって滅ぼされるまで、切り立った崖に囲まれた難攻不落の要塞として知られました。


マサダ 登り

 山頂のマサダまで、細い一本道を登っていきます。

マサダ

 (写真はUNESCOホームページから)

マサダ 線

わかりにくいですが、黒い線より下は2000年前のオリジナルだそうです。(写真はUNESCOホームページから)

マサダ 崖

難攻不落といわれたマサダの崖の険しさがよくわかる写真。(写真はUNESCOホームページから)


 このマサダには、その陥落にまつわる有名な逸話があります。

 第一次ユダヤ戦争末期、ユダヤの本拠地エルサレムがローマ軍の手に落ちたとき、千人近くのユダヤ人がこのマサダに逃れてきました。ユダヤの最後の砦となったこの要塞には、ローマ軍も攻めあぐねます。軍隊が攻め込むために山頂への道をつくろうとしても、上からユダヤ軍に攻撃され、なかなか作業が進まないからです。
 そこでローマ軍は、それまでに捕らえたユダヤ人の捕虜や奴隷を突入口の建設に動員します。かつての仲間を攻撃することに躊躇うユダヤ側が葛藤している間に突入口の建設は進み、ついに明日、ローマ軍が攻め込んで来る、という日になりました。この時点でローマ軍の数は1万5千ほど。降伏すれば全員が奴隷になり、抵抗して負ければ皆殺しにされます。その夜、マサダのユダヤ人のリーダーたちが集まって、そのあとの方針を話し合いました。そして ——— 。
 翌日、完成した突入口からマサダに攻め入ったローマ軍が見たものは、全員が集団自決したユダヤ人たちの遺体でした。奴隷になって民族の尊厳を失うくらいならと、彼らは自ら命を絶つことを選んだのです。遺跡からは、その夜自決する順番を決めたくじも出土しているそうです。


マサダ 眺望

 マサダからの眺望。360度、広大な砂漠と死海を見渡します。

 すべてを見下ろす山頂からの眺めを前にして、隣に並んだ北欧からの留学生と「まるで世界の上を歩いてるみたいね」「そうだね、でも同時に、世界中で独りぼっちみたいだ」「ええ、本当に。ユダヤ人たちは、どんな気持ちでここに来たのかしら」「きっと、ここに来るしかなかったんだよ」なんて会話を交わしました。全然知らない人だったけど。

 ちなみに、山頂にあるマサダには山の麓からロープウェイが出ています。陸路はかなり険しい山道ですが、このロープウェイのおかげで高齢の方も多く観光に訪れていました。



 エン・ゲディのもう一つの見どころが、エン・ゲディ国立公園です。公園の中には約二千年前の住居の遺跡や当時の美しいタイル絵なども保存されており、歴史や考古学の好きな人にはたまらないものかもしれません。が、エン・ゲディ国立公園のメインは何といっても、その雄大な丘陵と渓谷。この地も聖書に出てくるサウル王とダビデのエピソードの舞台とされていたり、ところどころに石を積み上げたような遺跡も残っているのですが、何よりもその大自然のスケールに圧倒されてしまいます。小さな島国から出たことのなかった僕には、山腹から眺める巨大な渓谷と死海を含む大砂漠の光景はかなり興奮するものでした。

山1

山2

山3

山4

山5


運が良ければ野生動物たちに遭遇することも

画像12

動物


 公園内に流れる川にはいくつか滝があり、滝つぼに入ることができる場所もあるので、水着とタオルを持って行くことをお勧めします。水分補給も必須。

滝1

画像15

 手前の彼はルームメイトのクールガイ

トイレ

 国立公園の初心者に厳しいトイレ標識

宿

この日泊まった宿舎からの景色。死海の向こうにはヨルダンが見えます。

宿2


朝日2

 次の日には早起きして、死海の日の出を見に行きました。死海側の崖に落ちてしまうと湖岸で結晶化した塩に体を切り裂かれてしまうので、足元には注意しないといけません。

 エン・ゲディの位置する砂漠地帯では、あたり一面、視界を遮るものはありません。じゃあ遠くの地平線までよく見えるのかというと、実はそうでもなく。乾燥した大気に含まれるチリや砂塵で、地表近くの遠景は霞んでしまうことを、僕もここへ来て初めて知りました。モンゴルの遊牧民等には驚異的な視力ではるか遠くにいる馬の数も認識できてしまう人がいるといいますが、彼らが本当に「見えている」のだとしたら、それは単なる視力の良さだけではないのかもしれません…。





 さて、次に紹介するのは、イスラエルきっての先進都市、テルアビブです。エルサレムは宗教的聖地としての価値や歴史ある建造物があまりにも多く、またその他様々な事情により、全体として現代的な景観はあまり見られません。しかし、そのエルサレムで培われたイスラエルのイメージをひっくり返すかのように、テルアビブには見上げんばかりの超高層ビルが立ち並びます。しかもその高層ビルたちがちょっとひねったデザインをしていて、無機質に感じないのも楽しめるポイント。

テルアビブビル

夜景

テルアビブの夜景。泊まったホテルのバルコニーから。

 テルアビブで面白いのが、人々の移動手段です。多くの人がバスや路面電車で移動するエルサレムと違い、テルアビブは基本的にマイカーが中心。そして車を出すほどでもないときによく使うのが、レンタルの電動自転車と電動スクーターです。この自転車とスクーターの専用乗り捨て場が街の至るところに設けられていて、人々は好きな場所から好きな場所へ、ほとんど自由に乗り回すことができます。電動スクーターは普通車の国際免許証が必要ですが、自転車には不要。スクーターや自転車本体についているQRコードからスマホを使って登録し、個々の識別や走行距離を手元のスマホで確認しながら利用できます。料金も5シェケル(150円)+走行分と、よほどの長距離でなければ高額になることもありません。何より、すぐそばの地中海からの潮風を受けながら颯爽と街を駆け抜けられる電動スクーターは、なかなか気持ちの良い乗り心地です。


ライブ

 観光地になっている中心部のマーケットでは、こんなライブが披露されることも。

 テルアビブは都市部がそのまま地中海に面しており、海岸線沿いに延々と続く海水浴場は海水浴やサーフィンを楽しむ観光客であふれています。多くのホテルもこの地中海沿いに立ち並び、砂浜に面する道路ではスクーターや自転車、スケートボードに乗った人々が行き交います。

海

海1

海2

海3

海4

 知らなかったのですが、撮影者(筆者)の立っているこのデッキは、「オール木造なのに全体がなめらかに曲線を描いている」として世界的に有名なウッドデッキなんだそうです。

 テルアビブは、町中に大小様々な美術館やギャラリーのあるアートの街でもあります。中でも最も有名なテルアビブ美術館を訪れたのですが、近現代の著名な芸術家の作品を集めた幅広いコレクションやイスラエルのアートの歴史を辿った展示など、すべて見て回るのに1日はかかるほど内容が充実しています。いくつかの展示では、実際に鳥肌が立つような体験もしました。また、博物館に比べて入館料が安いことや、観光客に優しいサービスが徹底していることも魅力だと思います。 

ポスター

  市場を散策中、思わず立ち止まったポスター。一番右は、現在歴代最長任期を更新中のイスラエル首相、B.B.ネタニヤフ。





 最後に、イスラエル北西部の港湾都市、ハイファを紹介します。といっても、ハイファには少し寄っただけで数時間滞在した程度なので、簡単な印象しか書けないのですが…。

ハイファ

 この写真を見て分かる通り、ハイファは海と山に囲まれた港町です。イスラエル第三の都市として知られ、またイスラエルの主要港として毎日たくさんのコンテナ船が行き来します。街の様子はエルサレムに比べるとかなりモダンですが、テルアビブのように高層ビルが立ち並んでいるのは郊外だけで、中心部は少しオシャレで国際色豊かな街並みになっています。テルアビブをハワイのビーチに例えるとすれば、ハイファは神戸の港町によく似た感じでしょうか。

 海の近くに路面列車が一本ある以外はほとんど車社会で、またハイファで車を運転するにはかなりの技術がいるような気がします。これはイスラエルのどこでもそうなのですが、日本のように整然とした交通状況は期待できません。特にハイファはエルサレムに比べても交通量が多く、クラクションの頻度、車間距離などどれをとっても、日本での運転に慣れたドライバーにとっては常時恐怖を感じるドライブになるでしょう。ちなみに僕を連れて行ってくれたアメリカの友人のお父さんは、元々アメリカでもその大胆な運転技術に定評があったようで、「どうだ!ディズニーのアトラクションより面白いだろ!」と言いながらハイファの道路を攻略していました。


 そもそもイスラエルの物価はそう低くはないのですが、都市部であるテルアビブとハイファはその中でも特に物価が高めであるように感じました。イスラエルの名物料理シュワラマやファラフェルも、一食当たり1200円~1500円は見積もっておく必要があります。ただ、タクシーに関しては日本の三分の二ほどの価格で、メーターもしっかりついているので、バスや路面電車がない場合は観光の足として利用するのもアリだと思います。もちろん、利用できるならバスの方が圧倒的に安いですが。





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【追記】テルアビブの電動スクーターと電動自転車のサービスについてですが、シェアサイクルという言葉があったのをすっかり忘れていました…。ちょうどシェアサイクル、シェアスクーターといった感じです。この方がちゃんとイメージがつきやすいと思うので!

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