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世界ホロコーストフォーラムと反ユダヤ主義

前回の投稿から、かなり間が空いてしまいました。

本当は新しいネタがあるたびに記事にしようという心づもりだったんですが、ヘブライ大学での勉強が最初から最後まで本当に忙しく、ず~~~っとやることがある状況で、”空いた時間に”ブログを書くことがなかなか難しかったのです。というより、こんなに刺激的な毎日の中でアウトプットなんかせずにずっとインプットだけし続けたい、と思っていたというのが本音ですが(笑)。

そのヘブライ大学でのセメスターも無事まずまずの成績で終えることができ、現在はこれまでに学んだことを自分なりにまとめ直したりさらに調べたりしながら、東エルサレムにある日本のNGOに無給インターンとして参加させてもらっています。これまで大学でほとんどユダヤの学生たちと過ごしていたのとは対照的に、今度はパレスチナ人と彼らの生活を相手にする日々。さらに新しいことを学びつつ、視点があっちこっちに行ったり来たりして大変ですが、なるべく意見をその発信者と状況に結び付けるように注意しながら、頑張って喰らいついていっています。この時期になって初めて、こっちで日本人のつながりができました。

あと、アラビア語も。ヘブライ大学でヘブライ語の授業もずっと受けていたのですが、ヘブライ語とアラビア語は似ているところも非常に多いので、日本で学んでいたアラビア語と混じってしまって仕方なくなります。久しぶりに話すと、日本語もまともに出てこない状態。今は、かなり抜けてしまったアラビア語を少しずつ取り戻しているところです。

全然関係ないですが、もう国に帰ってしまったアメリカ人の友人も、以前学んでいた日本語を勉強しなおしているようで、昨日2週間ぶりに「お前はもう死んでいる」と連絡が来ました。

これから3月の終わりまで、このブログではイスラエル及びパレスチナであった大きな出来事、3月に控えている2回目(!)の”やり直し”選挙、ヘブライ大学で学んだことの中で皆さんが楽しめそうなトピックや知ってほしいことなどを、時間の許す限り書いていきます。どれくらい許してくれるかわかんないけど。

ヘブライ大学で友人たちと過ごした宝石のような思い出もたくさんあるのですが、ここではあんまり書きません。誰かとの思い出は、自分たちだけの秘密にしておきたい派なので。

今回の記事は、昨日エルサレムであったWorld Holocaust Forumのことと、それに関連してホロコーストについて、久しぶりなので短めに書こうと思います。ホロコーストとは何だったのか、というお話。

その前に。

中東といえば年明けに日本でも話題になった(のかな?)、アメリカのトランプ政権がイランのスレイマニ氏を爆殺し、第三次世界大戦の幕開けかと騒がれた件について、少しだけ。

たくさんの情報が飛び交い、様々な専門家が様々に発言し、日本の皆さんもいつもより少しだけこの地域に関心を向けたと思います。僕も、事態発生の翌日くらい(?)に、速報的に簡単に状況を整理してTwitterに書きました。

これを書いた後にもいろいろなことが明らかになり、状況も移り変わり、結果として混乱はそれほど激化することもなく収まりを見せています。もちろん、スレイマニ氏爆撃に巻き込まれて亡くなった11人や、その後の一連の経過で出てしまった犠牲者を無視することはできませんが。

結局、今回の事件が結果的に何にどう影響を及ぼしたのかということしか、今は言うことができません。なぜ今のタイミングで、あるいはどうやってトランプ政権がスレイマニ氏を殺害できたのかということは、少なくとももうしばらくは明らかにはならないでしょう。真相が明るみに出るまでに長い時間がかかるのは、歴史の常です。

今回の事態を受けて、年末に安倍政権が自衛隊の中東派遣を閣議決定していたこともあり、派遣中止及び戦争回避への働きかけを求める運動が日本でもあったことを聞きました。それを聞いて僕はとても嬉しく、感動したことを覚えています。特に今回は日本政府が明確な対応を取らなかったこともあり、市民の中から即座にこのような平和運動が起こったのは民主国家としてとても重要なことで、日本社会もやるじゃないか、と誇りに思うと共に安心しました。僕も日本にいたら参加していただろうと思います。

でも、もしその運動が単に「これ以上コトを荒立てるな」だったら…?

今回殺されたスレイマニ氏がカリスマ的リーダーシップをとっていたイランの革命防衛隊は、シリアやイエメンでの民間人の大量殺戮に関わり、ときに先導していた軍事組織です。実はシリアの民間人や一部のイラン人には、彼らにとって圧倒的な恐怖の象徴だった軍のリーダーがいなくなったことに安心し、大いに喜んでいる人々もいます。

僕はトランプ政権によるスレイマニ氏殺害を支持しているわけではありません。ただ、もしあなたが「戦争が起きなくて=平和が保たれてよかった」と思っているなら、この機会に、もう少し先まで考えてみてほしいのです。

平和の反対側にあるのは、目に見える戦争だけではありません。言い換えれば、戦争がないからといって、必ずしもそこに泣いている人々がいないとは限りません。武力”衝突”がない状態を平和というのなら、例えば一方的ないじめがあり、周りの生徒や教師もそれを黙認しているようなクラスだって、平和なクラスだと言えるでしょう。抑圧も、衝突の無い状態のひとつなのです。衝突を起こせない、「立ち向かえない」とも言えるでしょうか。そのような状況において、衝突や混乱の始まりは、ときに抑圧からの解放を意味します。

残念なことに、現在様々な地域、様々な分野において、安定していると見られている状態の多くが抑圧によって保たれています。僕の専門としているパレスチナ問題もそうですし、日本のジェンダーギャップや多様性社会の問題なんかも、一種の抑圧の問題だと言えるでしょう。実は、シリアの市民が抵抗する術を持たず殺されていることも、間接的にですが確実に、日本のあなたの生活の安定を支えています。だからこそ、私たちはそれらの問題を”自分のこと”として、常に考えていなければいけないと思うのです。

抑圧があるくらいなら戦争の方がましだと言いたいわけではありません。しかし、そんな状況があっていいだとか、仕方ないとも決して思いません。今の安心で快適な生活を揺るがすことは、もしかしたらあなたにとって不安で不快なことかもしれませんが、それでも誰かの犠牲の上に成り立っている秩序や安寧なんて要らないと、より多くの人が迷いなく言えるような社会になることを強く願っています。

余談ですが、まだイランとアメリカの開戦が現実的に見られていたころ、ちょうどセメスターが終わりかけであと数日でみんな国に帰ってしまうという時だったので、僕がアメリカ人の友人に冗談で「アメリカが負けて戦争が終わってから君に会いに行くよ」と言うと、「何言ってるんだい、アメリカが負けるときは日本も負ける時だよ」と返され、「違いねえ」と言って笑い合いました。まったく、何から何まで全然笑えない冗談でした。笑ったけど。

本編でない文章が想定以上に長くなってしまうのは僕の専売特許みたいなもので、この時点でもうだいぶ疲れてしまったんですが、やっと本題のWorld Holocaust Forumの話に入ります。

ホロコースト、という言葉でわかるでしょうか。第二次世界大戦中にヒトラー率いるナチスドイツが行った、”主に”ユダヤ人を対象にした大虐殺のことです。

”主に”と書いたのは、実はホロコーストで虐殺の対象になったのはユダヤ人だけでなく、ゲイやロマ族の人々もまた相当程度の規模で収容所に入れられ、殺されていたからです。このことはあまり知られていませんが、彼らについて生存者が書いた手記も出版されており、決して忘れられてはならない歴史の一部であると思います。

とはいえ、やはりホロコーストは「ユダヤ人の悲劇」として人々に記憶されていることもあり、1月27日の国際ホロコースト記念日に先駆けて「ユダヤ国家」であるイスラエルが世界ホロコーストフォーラムをホストしたというわけです。

この世界ホロコーストフォーラムは今回が第五回で、アウシュビッツ解放から75年目の今年は世界中から49ヵ国の首脳クラスがエルサレムに集結し、23日のフォーラムではペンス米副大統領、プーチン露大統領、チャールズ英王太子、マクロン仏大統領、シュタインマイアー独大統領がスピーチをしました。ホロコーストが世界にとってどれほど重大な出来事であったのかが伺えますね。イスラエルにとっても、建国以来類を見ない規模の大仕事です。

日程がガッツリ被ってしまったので、トビタテ的には今はダボス会議がアツいのかもしれませんが、僕にとってはこっちの方が断然デカいイベントです(笑)。真面目な話、世界を前に進めようとする動きももちろん大事ですが、その推進力が間違った方向に向きそうになっていないか、都度歴史を振り返り、考え直してみることも同じくらい重要で、お互いに欠けることがあってはいけないものだと思っています。

というのも、この世界ホロコーストフォーラムは、決して「過去の悲しい出来事を思い出そう」というだけのイベントではないからです。今回の第五回フォーラムは、"Remembering the Holocaust: Fighting anti-Semitism" - 「ホロコーストを記憶し、反ユダヤ主義と戦う」とタイトルづけられています。

ホロコーストに関しては戦後膨大な量の研究が行われ、現在でもその議論は続いているところですが、少なくともそれは全てが完全にナチスの意図であったわけではなく、ヨーロッパ全体に根付く反ユダヤ主義やその他の要因があれほどまでの悲劇を実現させたというのが、大体の共通認識になっています。実際に、当時ナチスの勢力がまだ及んでいなかった地域でも、ナチスの反ユダヤ政策に”後ろ盾を得て”、地域住民が積極的にユダヤ人への暴行や殺人を行っていた記録も数多くあります。

そして現在、反ユダヤ主義はまだなくなってはいません。それどころか近年さらに激化していると言われており、アメリカでは最近だけでもユダヤ人を対象にした嫌がらせや殺人が多く報告されています。また、ナチスの反省があったはずのドイツでも、移民政策と相まって反ユダヤ主義は深刻な問題になっていて、今回のフォーラムの中でシュタインマイアー独大統領は「ドイツ人は歴史から学んでいると思っていたが、残念ながらそうではなかった」と述べました。

このような中で、世界の(といっても”西洋諸国”ですが)リーダーが一堂に会し、ホロコーストを記憶する場で反ユダヤ主義に対抗する姿勢を示したということは、やはり象徴的で重要な瞬間であったと思います。

ここで、パレスチナ問題の文脈からもう一つ視点を出してみます。

イスラエルのネタニヤフ首相が、イスラエルのパレスチナ人に対する国際法違反の占領行為をカモフラージュするのに、今回の世界ホロコーストフォーラムを悪用した、というオピニオン記事が、イスラエル最大手メディアHaaretzに掲載されました。

実際に、ユダヤ人が史上最悪の悲劇ホロコーストの被害者である一方で、ユダヤ国家であるイスラエルはパレスチナへの非人道的な占領行為を今も続けており、イスラエルが反ユダヤ主義の被害者であるという主張をパレスチナ占領行為への糾弾の弾除けに利用しているという批判は、建国以来、特に近年世界中で言われていることでもあります。

反ユダヤ主義と反イスラエルと反シオニズムの違いや、イスラエル及びアメリカがそれらを意図的に混合して利用していることなどについては、ちょっと複雑なのでまた別の機会にまとめようかな、と思っています。

また、イスラエルの占領行為への批判として、「ホロコースト被害者であるイスラエルのユダヤ人が、同じ行為をパレスチナ人に対して行っている」という言い方がされることがよくあります。どういう言い方をするかはその人の責任で人それぞれだと思うのですが、僕はこっちに来てからこの表現がドイツ人の学生にどう受け止められるのかを目の当たりにして、自分は使わないようにしよう、と考えを改めました。イスラエルを批判する中で、ドイツ人のセンシティブな部分を不用意に攻撃してしまいたくはないな、と思ったからです。

ただ皆さんには、反ユダヤ主義と戦うこととイスラエルの占領行為を批判することは別で両立し得ること、たとえどんなに同情されるべき被害者でも誰かを攻撃することが正当化されることはないということを、ベースとして頭に留めながら、ニュースや人々の意見を考えてみてほしいと思います。

【おまけ】

こちらは、東エルサレムにある乾物屋さんで買ったドライフルーツ。アラビア語で"Thank you for choosing our shop"と書いてあります。レジ袋にこんなことを書いてくれるホスピタリティが嬉しくて、週一くらいのペースで買いに行ってます。あとこの店のドライフルーツは、ドラゴンフルーツなど珍しいものも含めて種類が豊富で、しかもユダヤ人の店に比べて値段も安いのでつい買い過ぎてしまう。

自分で買ったけど、どれが何の果物なのかもわからない…。 糖分が多いらしいので、あまり一度に食べ過ぎないようにしています。

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