嘆きの壁前

最初の2日間 市場と旧市街観光

 留学開始から20日が過ぎました。もともと環境の変化には強い方なので、食べ物で困ることも、海外定番の下痢に見舞われることも今のところなく、すこぶる元気です。

 ただ、暑い。聞いていた通りですが、日本のような湿気は無いものの、代わりにものすごい乾燥と日本では感じたことのないような強烈な日差しに日々晒されています。めちゃくちゃ焼けた気がする。

 ちなみに、こちらに来てからまだ一度も雨が降っていないどころか、毎日快晴です。雲一つありません。マジで。


 最近のハイライトといえば、人生で初めて生の銃声を聞いたことでしょうか。大学の授業中、窓の外に乾いた音が数発響いたのですが、ヘブライ語クラスの先生はクスッと笑って何事もなかったように、すぐに授業を再開しました。

 笑い話のようですが、ここではそれほどに珍しくもないこと、銃声には必ず標的があったのだろうことは容易に想像できるし、その標的がどのようなものだったのかも実はある程度見当がついてしまうのです。

 その日常こそが、人々がこれを日常としている現実こそが僕がここに来て触れたかったものであり、ここから何かを掴み取って帰るための留学なので、自分は今この地にいるのだと、身の引き締まる思いがしました。


 さて、なかなか思ったように時間が取れないので時差があるのですが、今回はイスラエルに着いてから最初の2日間のお話です。ベン・グリオン空港に到着したのは午前3時だったので、ドルを両替したりwifiを探したりしながら始発を待ち、空港から直通の電車でエルサレムの中央駅に向かいました。緩やかな起伏の丘陵地帯なので、短いトンネルをたくさん抜けます。


 ところで、イスラエルのユダヤ人(ユダヤの、という表現は実はとてもややこしいのですが…)には、世俗的な人々の他に、超正統派と呼ばれる厳格なユダヤ教徒の人々がいます。彼らは長いもみあげと髭を蓄え、真夏でも真っ黒のコートを纏い、大きな黒い帽子をかぶっています。
 
 僕は彼らを空港で見たときから、彼らが何か黒くて大きなゴムのタイヤのようものを持っているのが気になっていました。あれは何だろう、とずっと考えていたのですが、電車がエルサレムに着いた頃にハッと気づいたのです。あれは彼らの大きな帽子のケースだ!
 
 帽子になぜ容れ物が必要なのかはわかりませんが、この暑いのに煩わしそうなものを大層たくさん携えているものだ…と思いました。超正統派については、その戒律だらけの暮らしぶりも、イスラエル社会における存在感もかなり興味深いところの多い人々なので、いつかしっかり書きたいと思っています。

画像2

エルサレムのCentral Station 

 

 大学の入寮まで2日の余裕をもって渡航していたので、最初の2日間はエルサレムのホステルに宿泊することになっていました。なので、エルサレムに着くとまずホステルに大きなスーツケース2つを預け、一日目はシュックと呼ばれる市場を散策することに。
 
 八百屋や肉屋や魚屋、パン屋にスパイス屋にアラブ地域の伝統的なお菓子バクラヴァのお店などが所狭しとひしめき合い、とても活気があって楽しい場所です。大体のものは言えば試食させてくれるので、いろいろ巡ればそれだけでお腹いっぱいになるかもしれません。そのあとの強烈なセールスをかわせれば、ですが…笑。
 
 イスラエルは決して物価が安いわけではないのですが、野菜や果物の中には市場で安く買えるものもあります。そういうのをつまみながら散策してみるのもいいかもしれませんね。

マスカット

これで300円ほど 多すぎて食べきれずにホステルで配りまくりました


アブラハムホステル

ホステルの食堂 ピアノやハンモックがあって、皆思い思いに過ごしていました バーもある


ミントティー

ホステルのフリーのミントティー カップにティーバッグと砂糖とミントを入れてお湯を注ぎ、スプーンでガシガシする めっちゃ美味しい


アブラハムホステルロッカールームキー

ホステルのかわいいロッカールームキー


 2日目はホステルから歩いて20分くらいの、旧市街に行ってみることにしました。
 
 エルサレムにある有名な旧市街は、周囲を高い壁に囲まれ、11の門のうち7つの門から出入りすることができます。内部はアルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、ムスリム地区に分かれ、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、イスラム教の聖地「岩のドーム」がごく近い場所に集まっていることでも知られている場所ですね。

 このうちムスリム地区だけは現在出入り口となる通路のすべてが武装したイスラエル兵によって管理され、観光客の出入りは制限されています。なので、聖墳墓教会と嘆きの壁だけ見に行くことにしました。

 旧市街の中は迷路そのもので、そう広くない路地の両側にありとあらゆる商店がひしめき合っており、キャッチをかわしながら歩いているとすぐに「ここはどこ?」となってしまいます。僕も歩き回っていたら「たまたま」聖墳墓教会や嘆きの壁にたどり着いた、という感じでした。時間のない人は、一度入ってしまうと出るのも簡単ではないので気を付けてください。

旧市街 花

とはいえ、開けた場所には綺麗な花が咲いていたり、レンガ造りの景観はとても綺麗なものです。


旧市街 昼

これが夜には…

旧市街 夜

こうなります


 僕は寺院やモスクなど、現在も信仰の対象になっているものや神聖な場所を写真には撮らないというポリシーがあるので、言葉のみでの描写になってしまうことをお許しください。

 

 先に遭遇したのは聖墳墓教会でした。どこだかわからない路地を歩いてたらいきなり目の前にあの有名な入口が現れたので、一瞬固まってしまいました。笑
 
 門をくぐって中に入ると、思わず息をのみます。中央に鎮座するイエスの墓に施された無数の装飾、その上のゲートや天井、壁に描かれた宗教画の数々、床や柱を黄金色に埋め尽くす幾何学模様…。そのどれもが見過ごすことを許さない迫力と美しさで、僕は目線を移すたびに心を奪われ、しばし息をするのを忘れて釘付けになったのでした。

 教会の中は思っていたよりもずっと広く、構造上それほど開けているわけではないのですが、どこまで続くのかと思うほどに奥へ奥へと延びていきます。そのいたるところに宗教画や祭壇、奥まった小部屋などがあり、全部見て回るにはかなりの時間がかかってしまいました。

 エルサレムはイエスが処刑を言い渡され、十字架にかけられた地とされているので、イエスの墓以外にも様々な遺跡やモニュメントを教会の各所に見ることができます。イエスの十字架を立てたと言われる地のくぼみや、イエスの遺体に香油を塗ったとされる塗油の石には、多くの人が頭を垂れて祈りを捧げ、キスをしていました。そうでない僕らは日本ではあまり感じる機会がないかもしれませんが、敬虔な人々、信条の実在を目の当たりにできるのは、エルサレムに来る大きなメリットだと僕は思います。

 壁面の宗教画のストーリーや祭壇の一つ一つが福音書と結びついており、きちんと結び付けて理解するためにも、もっと勉強してからもう一度来よう、と誓いました。


 教会を出てしばらく放心状態でふらふら歩き回り、ガイドのキャッチに捉まるも5シェケル(150円)で切り抜けたりしているうちに、嘆きの壁が見えてきました。そのすぐ後ろには、隣接する(というか一部というか…)岩のドームが頭を出しています。

 世界中のモスクの美しい幾何学文様で知られるように、岩のドームもその黄金色の煌びやかさにとどまらないオーラを醸し出しているのですが、それに比べて嘆きの壁はといえば、どこからどう見てもただの巨大な石壁です。

 キッパというユダヤの男性用の装具(ユダヤの男性はいつでもどこでもこれを頭に付けています)を受け取り、壁に手が触れるところまで降りてみても、その印象は変わりません。装飾も模様も何もない、ただの石壁としか言いようがないのです。遺跡なのだから、と言ってしまえばそれまでなのですが…。



 壁の前にいるのは圧倒的に超正統派の人々が多いですが、世俗派らしきカジュアルな服装の人もカジュアルに祈りに来ます(カジュアルといっても最低限のドレスコードは当然守ります)。観光客は本当に、チラホラ程度。 

 人々は隙間を見つけて壁に歩み寄り、ある人は壁に手を当て、ある人は頭を当て、ある人は聖書を手に持って、みな壁に語りかけるように低く抑えた声で祈りを捧げています。唱えながら上体を前後に揺らす人や、くねくね(としか言いようがない)している人も多くみられました。その独特の動きが興味深かったのですが、あとで聞くと、動き方は実際のところ”フィーリング”だそうです。
 
 僕のざっくりとしたイメージでは、キリスト教徒が神の御加護を受け常に祝福されていると安心するのに対し、ユダヤ教徒は物言わぬ神の意思と自分たちの運命を追い求めて常に考え続けている、という感じがします。

 そもそもユダヤ教はキリスト教やイスラム教と異なり、「有史以来」安定した帝国や権力を有したことはありません。何度かできた王国もすぐに時の勢力に滅ぼされ、特に紀元70年頃にローマ軍に滅ぼされて以降は、生き残った人々が周辺地域に離散し、ユダヤ人はディアスポラ(離散民)としての歴史を刻むことになります。

 自分たちの聖なる土地や神殿を守れなかった彼らは、数種の聖書と口伝の教えを徹底的に掘り返し、その意味を解釈し続けるという作業を以て、自らの「信仰」を守り続けました。ユダヤ教の宗教的指導者兼神学者のラビたちによる、ユダヤの聖典「タルムード」を巡る千数百年にも及ぶ議論がそれです。信仰が精神的支柱になるのはどの宗教でも同じかもしれませんが、その中でもユダヤ教は際立って形而上的な信仰の形態をとってきた宗教と言えるのではないでしょうか。

 そう考えると、嘆きの壁の意外なほどの粗朴さにも少し納得がいきます。実は聖墳墓教会の内部に描かれていた宗教画には他と画風(?)が違うものもいくつかあり、建立以後も後世の人々が手を加え、修復し、聖地としての価値をさらに付加してきたことがうかがえます。キリスト教の生誕となるイエスにまつわる物語の舞台となったこの地では、圧倒的なスケールの美しさと有無を言わせない静謐な神聖さが、訪れた信徒たちに神の大きさと拠り所を感じさせるのでしょう。

 一方、長きに渡り自分たちの国を持つことさえ叶わなかったユダヤ教徒は、聖典とそれを扱うラビを主な宗教的権威としてきました。彼らにとっては、聖地を追われ、ディアスポラとして信仰を続けてきたその歴史こそが自らのアイデンティティなのです。そういう意味で嘆きの壁は、最後に残った神殿の一角であると同時に、故郷を滅ぼされ離散民となっても守り抜いたユダヤの信仰心の強さを象徴するモニュメントとしてそこにあるような、そんな気がしました。



 旧市街を出てホステルに戻ると、ハイファ大学に留学するというアメリカの理系大学生と食堂で遭遇。彼も僕と同じくアラビア語を勉強していたようで、「ちょ、今日ずっとアラビア語だけで会話しようぜ!!」と持ち掛けられ、その後何故かずっとハイテンションでアラブ料理を作ったりしてました。お互いアラビア語レベルがまだまだなので、乏しい会話しかできなかったのが残念…。

 ホステルの屋上がビアガーデンのようになっており、ムーディーな電飾とDJの心地良い音楽で、なかなか良い雰囲気で楽しめました。

アブラハムホステル ルーフトップ


 長く書かない、と言っておいてまたかなり長くなってしまったのですが…次回はもう少し短く収まるように頑張ります。

 この翌日からついにヘブライ大学での留学が始まります…!!



 *ユダヤの歴史に関する部分は、あまりにざっくりし過ぎているとともに、かなり問題もある(現在のエルサレム及び聖地を巡る状況から考えて)ので、ぜひ鵜呑みにせずに調べてみてください(ネットや本の記述もかなり恣意的なものはあるのですが…)。

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