The decentralized non-conforming improvisation of お能

能楽用語事典によると、「アシライ」は

「漢字では「会釈」と表記する。非常に広い範囲で使われる用語だが、基本的には「応対する」の意。演技用語としては、相手に身体を向けて正対する所作のこと。囃子の用語としては、その場の状況を見ながら比較的柔軟に付かず離れずの伴奏をすることをいう。シテの演技、登退場などを囃子があしらったり、謡や大鼓・小鼓の演奏を笛があしらったり等、さまざまな形がある。このほか、稽古の際に扇などで拍子をとることも「アシライ」という。」

元々はお能のimprovisationの特徴が知っていますが、その「付かず離れず」ということはすごく興味深いです。

「付かず離れず」あるいは「不即不離」は禅宗の「不二一体」の考えと繋がります。舞台上に、伴奏役や副役が主役に合わせる必要がない。そもそも、一体なので、この主と副の概念も要らない。ただ、その場で自分なりしながら相手と環境に相対的に動いている。

「合わせる」のは練習すればできることだと思いますが、この「付かず離れず」はなかなか難しいと思います。

The improvisation should not be hierarchical and rigid. it is not like there is a directing conductor and everyone just obey the centralized power.

At least in the case of noh, improvisation is to non-conform, to be yourself, but to unite.

In the end, this decentralized power of improvisation will create something more impressive than the centralized rule-based improvisation.

トレイシー


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