ダンスとキャバ嬢と彼岸花6

またしばらく連絡のない期間が続いた。
現在のようにLINEを既読無視すると角が立つような厳格な時代では無かったと思う。
携帯キャリア同士じゃないとSMSも送れなかったような気もする。
メールが携帯で使えて便利だというくらいで、パソコンでのメールがまだまだ主流だった。
当時からちょっとしたことをメールの下書きか自分宛のメールで日記風に書き留めていて、ほとんどは掘り返すまでもないデータとなってしまったが、当時はそんなことも想像もせずに書き溜めていた。

地元の友達が東京に遊びにくるということで、飲みに出かけた。
新橋あたりの安い居酒屋に行って発泡酒かビールかわからないジョッキを飲んで、キャバクラに行くか風俗に行くかと馬鹿みたいに盛り上がった。
まず初日はキャバクラに行こうとなり、せっかくだから歌舞伎町に行くことにした。

友達は客引きは絶対にダメだと言い、歌舞伎町を2周して結局店前にいるおじさんと話し合って良さそうなところに入ることになった。
友達はギャルが好きで、何度もギャルがいるか確認していた。
大丈夫です大丈夫ですと話すおじさんを信用するのはいいのかと疑問だったが、入ってみると待機席にギャルっぽい子が数人座っていて、あの子いいじゃん付けてよ、場内指名になります、まあそこまで厳しくしなくてもいいじゃん、みたいな交渉を続けていた。
この友達は立派なおじさんになり、社長になった今でも同じようなことをするので、お店的には嫌だろうけど変わらない奴だなと少し安心するし、このままじいさんになって欲しいと思ってる。
未だに飲むと、昔歌舞伎町行った時にという話をするから余程楽しかったんだろうなと思う。
そんなお店も場所がどこだったか記憶が定かではないが、ストリートビュー見る限りではもう無いのだと思う。
歌舞伎町で長年続けるのは色んな要素が揃わないという難しそうだなと想像できる。
流石に今は無いだろうけど、歌舞伎町のドンキホーテの横の大通り、何通りか忘れたけど有名なあの通りをヤクザっぽい見た目のおじさんが若い店員風の服装のにいちゃんの首を掴んで歩いていて、目の前て突然鼻を殴り、大量出血してもやめずに殴る蹴るの暴行を繰り返していて、怖いからみんな遠巻きに見ているんだけど決して止めには入れず、遠くから警官隊がゆっくりと大勢で歩いてきて事情を聞くというのを見たことが今も鮮明に覚えている。
てっきりすぐに羽交い締めにするのかと思いきや、周りを囲んであくまで事情を聞くところからスタートするのが印象的で、警視庁24時っぽくてすごいなと感心したのを覚えている。

話は戻るけど、ギャルが付いた友達はホイホイとボトルを入れて満面の笑みで、こんなに楽しむんだったら最初から場内指名すればいいじゃないかと思ったが、少し安く飲めたというのも楽しさの1つになっているんだろうなと思った。
一方私に着いた嬢は当時のメモを見ると、ものすごい美人は歳をとらない、でも重めと書いてあってよくよく読むとこういうことらしい。
今晩は、お友達の方すごく盛り上がってますね、え?今日遊びに来たんですか?じゃあ東京楽しめて良かったです。後輩ですか?え同い年なんですね失礼しました、でも男性は年上に見えた方がいいですよ、私ですか?いつくにみえます?もうちょっと上です、もうちょっと上、うーんもうちょっと、という感じで今で言う美魔女のはしりの様な方だった。
まあ、友達も楽しんでるしなと思って気楽に飲もうと思ったら、入店してそんなに経ってないらしく、なんでこの仕事を始めたなんていうトークを笑いながら話した。軽い感じだと思ったら、重い話を笑いながら話すのでこちらも笑いながら相槌を打つのだけど、笑えない状況になり、それでも笑わざるを得ないというなかなかの苦行になった。
プロではこういう話にはならないのだろうけど、たまにこういう人がいるからたまらない。
元宝塚の人みたいな美人でも人生は思うようにならないのだなあとしんみりしたが、友人は2本目のシャンパンを開けていたので、いくら持ってきたんだと心配になった。

結局もうこれ以上は飲ませない方がいいと判断して会計をすると内心叫びそうになったが、見栄を張らなくてはという気持ちが勝ち、さらっと払い、名刺を貰い、松屋に行った。
友達は、絶対メール来るからと言いながら食べていて、ホントかよと思っていたら、地方だから東京案内してあげるという長めの同伴を取り付けていた。

シェアハウスを建てて破産しましたが、キャバクラは給料から払ってますのでご安心ください。