プロレスリング西遊記後記

5日間の激闘を終え、天竺より帰還。

結局、天竺とはなんだったのか。
それは、5日間共に旅した仲間なら答えが見えているのではないだろうか。

前半は人間の持つ能力についての旅だった。

なぜ、我々ホモ・サピエンスは生き残ったのか。

秘密は前頭前野にある。前頭前野(想像する力)によって我々のホメオスタシスは情報空間にまで及んでいるのだ。

我々は映画を見て恐怖し、手に汗握り、涙を流し、声を出して笑う。

つまり、現実世界より、仮想世界の臨場感が上がるとホメオスタシスがそっちの世界へ引っ張ってくれる。
かといって、空を飛ぶことはできないようだが、それは臨場感が低いからだ。現に空中浮揚するヨガ行者は存在する。

この能力があるかぎり、我々は何者にでもなれる。

さらに、時間は未来から現在、過去へと流れている。

我々は川の中流にいて、川下である過去を見ている。そして両手いっぱいに過去の栄光にしがみついている。過去に達成した数々、プライド、信念、生活、お金、、、それらを手放すと自我が崩壊するのではないかと必死にしがみついている。

そして、いいこと悪いこと、あらゆるものは未来から流れてくる。
未来からいいことをつかもうとするなら、向きを変え、川上を見なければ見えない。そして両手いっぱいに抱えた自我を手放さなければ、なにもつかめない。手放し、両手を自由にしなければ掴むことはできないからだ。

さらに自分の能力を信じなければ、自分はこんなもんだ、という範囲のものしか見えない。(RAS)
いいことが起こるとイメージすればいいことしか見えず、悪いことが起こるかもと考えると、悪いことが未来から流れてくる。脳の機能により、盲点が働き、自分が重要だと思うもの以外、見えないようにできている。

そして、天国や地獄は実はこの世にある。この世が霊界だからだ。天国だと感じれば天国になり、地獄だと感じれば地獄になる。

我々は、自分が見たいものしか見ていないのである。
あるいは、自分は運がない。自分は能力がない、という信念が、それにあったものを見せている。

つまり、我々は何者にもなれるし、天国でも地獄でも、どこへでも行ける。

最終日、皆さんの雰囲気を見たわたしは確信した。

そこにわたしが求めていた笑顔達があった。温かい空間が出来上がっていたのだ。

わたしが見たかったものは無条件の笑顔。

それが、わたしにとっての天竺だった。

隣に大好きな仲間達がいて、目の前には笑顔の皆さんがいた。

これ以上なにか求めるものがあるならば教えて欲しい。

3日目は愛について、がテーマだったが、紛れもない愛がそこにあった。

プロレスリング西遊記が伝えたかったことは1つ。

皆さんは好きなものを見ていいんです。

天竺は、いつでもあなたが今、立っている場所にあるのですから。

過去は関係ない。ただあなたから離れていくだけ。

過去を手放し、未来から流れてくる見たい景色を、みんなで見ましょう。

最高の5日間をありがとうございました。

第42代平日マスク

ありがとうございます。