平日マスクの部屋5

先程、車の運転中、不意に父親のことを思い出す。声をあげて泣いた。一人でだ。
もし、誰かに見られていたなら、ヤバイ人に見えただろう。実際にヤバイ人かもしれないが。

きっかけは不意に頭の中に流れてきた歌だ。今Yahoo!で調べたが、尾崎豊さんの「坂の下に見えたあの街に」という歌だった。特別好きな歌でもなかったが。その歌詞の一部分、調べたら二番と三番がごっちゃになっていたが。

「やがてオレも家族を持ち、同じように築き上げるだろう。
あの日の親父と同じようにね。」という部分。


そしてイメージの中で現在の年老いた父親の笑顔が浮かんだ。その瞬間涙が出た。素敵な笑顔だった。神といっていい。
父親の人生に対して尊敬と感謝が溢れ出す。

もし、これが虫の知らせで父親に何かあったんだとしても、父親は死なない。確実にわたしの心の中で生きていると断言できる。

父親は、この社会の中の地位や名誉で考えれば大したことはないだろう。だが、わたしは、自身の人生の岐路にたつたび、
(父ならどうするか?)ということを必ず参考に考える。昨年、兄にこの話をしたが、兄も同じだった。
潜在的に、父親は道を間違えないという絶対感があるようだ。
実際に何を教わったわけではない。わたしが幼い頃は父親は単身赴任野郎であまり家にいなかったイメージしかない。家にいるときは寝ていた印象だ。

文字通り背中を見て育ったのだろうか。今、わたし自身が父親となり、息子に同じようにインストールしなければならない。責任重大だが、勝手に育つだろう。なにもされてないからだ。そう、あの日のわたしと同じようにね。

言葉にしないと気持ちは伝わらないよ!というのが現在の主流だろうが、決してそんなことはないと思う。現に言葉にできないが確かなものがわたしには伝わっている。祖父の記憶は、入院してて意識のない状態の時しか記憶はない。だが、この何かをわたしの父親に伝えたのは間違いなく祖父だろう。

偉大だ。そうやってずっと繋がってきた。この長い感謝と尊敬のバトンを我々は伝えていく。生きる意味はそれだけで十分なのかもしれない。

先祖を敬いなさい、というこの国に根付いている文化はそういうことなんだなと納得がいった。

久しぶりに父親にラインでもしようと思う。電話は何か照れ臭い。しかし、昔の人はなぜかメール、ラインだと言葉遣いがものすごく丁寧になる。これは父親に限らず、日本人あるあるだと思う。

おそらくそれにも意味がある。我々は先祖から伝わるこの何かを次の世代に繋がなくてはならない。時代が流れ、変わらないものはないが、変わるものもない。

あらためて、人生に。
関わる全てのことに感謝。

第42代平日マスク

ありがとうございます。