『信長ーあるいは戴冠せるアンドロギュヌス』
1930年のベルリン。映画撮影のためベルリン滞在中のアントナン・アルトーは日本人青年総見寺龍彦と出会う。総見寺によれば、〈日本の王〉織田信長はローマ皇帝ヘリオガバルスと同じく両性具有者(アンドロギュヌス)であったという。折しもヘリオガバルスを主人公とする小説の構想を練っていたアルトーは興味を引かれ、総見寺と共に調査を進める。二人は信長が祀る牛頭天王は古代オリエントの太陽神・牛神バールが流れ着き名を変えた神であること、ヘリオガバルスも信長も「天から降って来た霊石」を統一原理として掲げていたこと、などを突き止め、アルトーはヘリオガバルス論の姉妹編となる信長論の執筆を進める。だが、総見寺の背後にはオカルティズムにとり憑かれたヒトラーの影があった。アルトーの研究成果によって魔術的確信を得たヒトラーは日本と同盟を結び、バール神=霊石信仰に基づく東西からの世界征服事業に邁進していくのだった……
1998年に新潮ファンタジーノベル大賞を受賞し、翌年新潮社より刊行された宇月原の小説家デビュー作。文庫版は2002年刊。
タイトルが示す通り、本書はアントナン・アルトーの歴史小説、『ヘリオガバルス―あるいは戴冠せるアナーキスト』へのオマージュである。シリアの神官の家系でありながらローマ帝国の混乱のどさくさで即位し、帝位を争う一回を除けば戦場にも出ず政務も放り出す。短い治世をひたすら淫蕩と男色と祝祭とシリア的宗教儀礼にのみ捧げたことで悪名高い美貌の少年皇帝。信長とは一見縁遠いこの人物を「霊石信仰を利用した自己神格化の演出」を共通点に重ね合わせたのは澁澤龍彦である (※1)。澁澤の連想はあくまでその場限りのアイデアに過ぎなかったが、宇月原は日本に海を越えて伝来した「異神」の信仰と中世神話で肉付けすることで(※2) 、ユーラシア大陸を跨ぐ立体的で壮大な物語として展開する。この小説が単なる表面的に類似したイメージの並置と引用の羅列にとどまっていないのは、『ヘリオガバルス』における「制度によって隠蔽された生の力の回復」「隠蔽された生の力がグロテスクに変形した権力への批判 (※3)」という主題が、原典を尊重しつつ有効に変奏されているからだろう。
もうひとつ。この小説はアルトーによる謎解きのパートと、戦国史を三人称視点で描いた史実のパートに分かれている。印象的なのは、後者で描かれるあまりにも美しい信長への崇拝と恋慕によって結束した織田家家臣団の秘教的な共同性だ。明智光秀もまた単なる裏切り者ではなく、信長によって〈ユダ〉として指名された〈愛弟子〉なのだ(※4) 。ここには一たび〈歴史〉が整然と叙述され、後世に読まれるときには必然的に抑圧されるその時代を生きた者たちの確かな生の感覚がある。信長と家臣たちのオカルテッィクで秘教的な絆の描写は、彼らの生の力に接近するための方法であり、制度化された〈歴史〉への抵抗でもあるのだ。
※1 澁澤龍彦『城―夢想と現実のモニュメント』、白水社、一九八一年。
※2 山本ひろ子『異神』、平凡社、一九九八年。同『中世神話』、岩波新書、一九九八年。藤巻一保『第六天魔王と信長』、悠飛社、一九九一年。
※3 宇野邦一『アルトー―思考と身体』、白水社、一九九七年、一五二-一九九頁。
※4 荒井献『ユダとは誰か―原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ』、講談社学術文庫、二〇一五年。
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