「学校・教員に期待される役割像」をめぐって ― 役割像のスリム化は実現可能か? ―


教員の役割のスリム化について、

・チーム学校

・学校の働き方改革

の2つが解決策として挙げられた。


様々な諸課題に教員1人で対処するのではなく、学校全体、つまりチームが一丸となって対処するというのがチーム学校。

働き方改革は、真に教員が担うべき業務を見定め、教員が担わなくてもよいもの(部活動や校内清掃など)は外部に任せるというものだ。


これらの解決策に対して、

・地域や保護者からの理解が得られるのか(例えば、部活は教員の負担だが活動日数を削減してほしくはないという保護者がいるなど)

・削減しても、外国語教育やICT教育など、新たな教育が求められ、結局、削減されず、むしろ増えるのではないか

・人材の確保はできるのか

・外部の人材に任せるようになっても、チーム学校を維持できるのか

という懸念が挙げられた。

また、給特法上の課題として、民間企業とは違って残業代を払う必要性がなく、労働時間を下げるインセンティブが働きにくいということも、働き方改革を阻む要因の1つとして挙げられた。


日本の学校教育は諸外国と違って求められることが多く、しかもそれは近年さらに多くなってきた。授業で教えることが増えるだけでなく、保護者対応、インクルーシブ教育、地域との連携、外国人児童への対応など、教員1人でやることが多すぎる。加えて、団塊の世代が退職し、若手教員への負担が増えることも懸念事項の1つだろう。

スリム化するのはよいと思う。教員が授業のみに集中し、おもしろい授業ができると評判が広まれば、その地域への移住が増えるかもしれないし、地方自治体が教育に費用をかける動機にもなる。スリム化は外部委託を伴うため、費用はかかるがそれによって教員の生産性が向上し、児童生徒のことを考える時間が増えるなら、それは喜ばしいことではないか。

スリム化によって、自己研鑽の時間が増えることも予想される。日本は、普通の会社員も含めて自己研鑽に割く時間が少ないとされる。スリム化によって、日々の労働時間が並みの会社員と同じか、もしくは短くなれば指導技術を高めるために時間を使えるようになり、教育サービスの質も上がるだろう。もちろん、空いた時間をどう使おうが教員の自由であるが、学校や管理職は積極的な研修を促すことが求められる。教員の授業の質が向上し、我が子の学力が向上したり、勉強への意欲が上がることは、保護者にとって望ましいことのはずだ。

また、スリム化は教員の魅力向上につながる可能性がある。教員というと、労働時間が長く、行動が制約されたり、持ち帰りの作業が多いなど、いわゆる3Kに近いイメージがあったのではないか。しかし、授業のみに集中でき、後は自己研鑽や自分の時間に使えるようになるうえに、安定した身分で業務を続けられるとすれば、安定雇用が崩れ始めている中で、教員の魅力は相対的に高まるはずだ。


ただ、スリム化の外部委託は、地域格差が大きい。まず1つ目は、教育投資の地域格差だ。そもそも、日本は諸外国に比べて教育投資が少ない。近年は、社会保障費などの膨張で教育への投資は見過ごされがちだ。少子化となればなおさら、費用への意識は低くなってしまう。少子化が進む地域ほど、教育への投資のインセンティブは少ないだろう。移住が進み、子どもが増えればそうではないかもしれないが、多くの業務を外部委託するほどのお金があるのかは不明である。

また、外部委託するにしても、それを担う人材がいなければ意味がない。潤沢な予算があっても、必要な人材がいなければ、働き方改革は遅遅として進まない。その場合、外部委託が可能な人材は地域への移住の補助を行うなどの対策が有効ではないか。今は首都圏だけで働く必要がなくなり、地域への移住熱も高まっている。移住してきた人材のスキルを見極めて、学校の業務を任せるといったことも可能ではないか。

人材確保のためには、各学校単位で業務に必要な人材を洗い出すとともに、学校の業務を担える人材とマッチングするサービスをやってみるのもいいのではないか。全自治体の情報をネット上に集めるとともに、「移住補助」「住居補助」などの特典も合わせると、自治体間の人材の獲得競争も加速すると思う。

ただ、人材確保について、1つ懸念しているのは、学校で働く人材がどういう意図で働くかどうかだ。教育に熱心で学校の運営に関わりたいという人なのか、副業感覚で働くのか、など人によって学校の業務を担う動機は異なる。熱心な人なら「チーム学校」で活動する上で積極的に動いてくれるかもしれないし、そうでないと、一丸になれない可能性もある。

また、バイト感覚であるとすると、情報漏洩などの危険はないだろうか。子どもたちの情報、学校内にしかない情報に触れられるのは教員であるべきだが、チーム学校の考え方を実現するためには、外部人材にも学校の様子や気にかけてほしい子どもの情報を共有しておかなければならない。そうでないと、例えば部活動は教師と生徒の1つの交流の場であったのに、外部委託して、しかもその人材に情報が共有されず不適切な指導をしてしまったりだとか、部活内での仲間関係や言動が共有されないなど、子どもにとって望ましくないことが起こったり、教員が児童生徒の情報を獲得できなくなることになってしまう。

加えて、そうした情報に触れられるとすると、犯罪を企む人物が働きにやってこないだろうか。教員であれば、わいせつ行為などを行うと、その情報が共有されるが、外部人材の犯罪歴がどれほど共有されているかは現時点では不明である。最近は、部活動指導教員による生徒への性行為の強要があったことが明らかとなり、教員個人の性癖等を採用時に調べておくことが求められる。わいせつや児ポなどの犯罪歴がある人物を学校内に入れないためにも、採用時にそうしたデータベースを活用できる仕組みは必要である。

一方で、チーム学校を求めすぎて外部人材に業務以外の仕事や会議への参加を求めるという懸念もある。外部人材は、学校の業務を担う存在で、教師のように子供と接することもあるだろう。情報を共有することは大切だが、外部人材の負担が拡大しないように、職務を定義するなど、一般企業のような取り組みが必要になると思われる。

また、給特法上の扱いがどうなるのか気になるところである。公立学校の教員にのみ適用されるので、外部人材が教員ではないとすれば、残業代も適切に支払われる。そうすると、会議が時間外労働とみなされても賃金は払われるし、給与面での心配はないのではないか。


スリム化によって、学生が働きに来ることもあろう。実際、部活動の外部委託では体育大学の学生が担うこともあるようだ。学生にとって、子どもと触れ合う場所はNPOなどが運営する施設であったり、ボランティアなど多岐にわたるが、教員が働いているところを間近で見れることはあまりないのではないか。

これは教員を志望する学生にとって、理想と現実のギャップを埋めることに資するだろう。教員の仕事は、塾講師などでも体験できるが、実際にカリキュラムを作成したり、子どもたちに対応している姿は、学校でしか見ることができない。しかも、それは通常、教育実習の期間限定なのだから、貴重な機会になるが、学校で業務の一部を担いながら学校生活を観察できるようになると、「自分は~な対応をしたい」とか、「あの子には~接し方がいいかな」と、考える機会を創出できる。教員を志望していなくても、日々、教員の姿をみるにつれ、教員を志望するということもあるのではないか。

こう考えると、教職志望の学生が来た際は、教員とのコミュニケーションを密にするとよいのかもしれない。もちろん、最優先は児童生徒なのだが、新たな担い手になってもらうためにも、学生の疑問に答えたりすることも求められるだろう。


スリム化した際に、教員免許が必要になるかが問題となるかもしれない。それは、教員が担っていた業務を任せることになるからなのだが、そもそも部活動はそのスポーツの知識がなくても行えていたわけだし、必ずしも特定の資格が必要になる職務は多くないのではないか。もちろん、資格は必要ないがある程度の知識が必要になるだろう。児童生徒の対応では情報を共有しておく必要があるし、教員と外部人材の関係は構築しておく必要がある。

ただし、関教員は場合によっては1年で離れることもあるが、外部委託した際に数カ月単位で入れ替わりが発生すると、関係構築に支障をきたさないだろうか。その都度情報を共有するのでは手間がかかるし、児童生徒と関わる業務を外部に任せるのなら、子どもにとっての負担も大きくなる。外部人材を雇用する際は、特段の事情がない限り、1年以上の契約を必須とし、年単位で契約更新を行わなければならないのではないか。とすると、バイト感覚というよりは、1年間、しっかり学校運営や生徒対応に関わりたいと思っている人材を見極める必要がある。


スリム化の懸念の1つに、教育内容の増大が挙げられた。たしかに、~力とか~性などの育成が望まれるようになったほか、~教育という言葉が増えすぎて、教育内容自体はそこまで変わっていないのだろうが、+αで教えてほしい内容が増えてきた。しかも、そうした名称はあるのにも関わらず、何を教えればよいのか、教えた結果どうなるとよいのか、など具体的な研究は進んでいないように思える。言葉が独り歩きしている状態だ。にもかかわらず、教えることが求められるし、どの教育を優先すればいいかすら分からないのが現状ではないのか。

ただ、これについても外部人材に任せればよい。例えば、起業家教育なんかは外部に任せている学校はあったし、食育も栄養士など食に詳しい人に任せればよい。外国語教育やプログラミング教育も、専門の外部人材を招いて、教員は補助的な役割で授業に参加すればよいのではないか。

任せられないものとして、アクティブラーニングやGIGAスクール構想が挙げられていたが、ALは研究が進んでいて、どのような学級であればALがやりやすいのか・ALの種類などが明らかにされており、自分のクラスの状況を見極めた上で現状にあったALを実施することが求められる。タブレットやPCを使った授業は日本では昨年、やっとタブレットが1人1台になったばかりで、発展途上である。しかし、タブレットを使用した授業も研究で蓄積されているほか、既に使用している塾と連携してノウハウを獲得することもできよう。わざわざ自分達でノウハウを獲得する必要はないわけで、外部と学び合えば過度な負担にはならないのではないか。

以上、スリム化に伴う課題について考えてきたが、労働時間を削減するためには、やはり外部人材の活用が必須であり、そのメリット・デメリットも明らかとなった。

メリットとしては、新たな知見を取り入れられる・新たに自分達だけで取り組む手間が省ける・教員の自己研鑽の時間が増えるなどで、デメリットはチーム学校が実現しにくくなる・バイト感覚できてもらうと団結しない可能性がある・性犯罪者が紛れ込む可能性がある、などであった。

スリム化は手間がかかる作業である。教員の職務を洗い出し、それを教員がやるべきことなのか、という観点から考え直し、外部委託する手間がかかるからだ。地域差・財源差によって、学校ごとに働き方改革の格差が生まれてしまうだろうが、逆にそれが教員を呼び寄せる材料にもなる。そう考えると、地方自治体は全力を挙げて労働環境の改善に取り組まねばならない。生産性を向上させ、ワークライフバランスを意識した学校経営は、今の世代に刺さるはずだ。


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