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退去

今日は今住んでいる賃貸住宅を三月末頃退去することにしたのでそのことについて書いていく。

今住んでいる家に住むことになった経緯は大学1年の頃奈良から大学に通っていたのだが、満員電車嫌いすぎて、一人暮らししてえなってなってでも金無いし安いとこないかなと思っていた。そんな中1人の男が声を掛けてきた。その男は同じバイト先の三つ上の先輩で一緒に働いたこともほとんどなかったのだがその頃は大学に友達もほとんどいなかったので誰かに話しかけてもらったのが嬉しかった気がする。そこで先輩に部屋探してるという旨を話すと、「もうすぐ卒業するし家住む?」なんてことを言われたようなきがする。んじゃちょっくら見に行ってみるか、と思い踏み込んだのが、現在住んでいるコスモハイツ108号室である。

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(初めて踏み込んだ時の写真)

そこで何かを感じたのか、二つ返事でここに住みますときめた。しかし、1人でお金を払える程余裕もなかったので、その頃に出来た大学で初めての友達と2人でシェアハウスをすることにした。

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そいつはなんとも変わった奴だというか、一年で大学を辞めてしまったのに2年目から一緒にシェアハウスをすることになったその頃の家は電気もなく、毛布と寝袋だけで暮らしていた。キャンプ場と呼ばれる時代である。その頃から軽音サークルの同級生や先輩がよく遊びにくるようになった。

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そして毎晩のように酒を飲み気絶して次の日の夕方起きてまた酒を飲んで気絶すると言う自堕落な生活が半年程続いた。半年後友人の家の事情でシェアハウスを辞めることになったのだが、それまでの半年間なぜ苦情が来なかったのかと思うぐらいに毎晩宴会をしていた。

その後奈良のバイト時代の頃の同級生がたまたま遊びに来た時なんか壁に絵を描いたりした。

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そこからどんどん絵が増えていった。完全に描きすぎである。もう少しあと先考えるという能力を身につけるべきだと今ではおもう。退去の時まじでどうするんやろか?誰か教えてほしい。まあいいのだが。

まあそんなこんなで次の春くらいにまたシェアハウスをすることになる。一年生の頃仲が良かった留学生のアメリカ人が日本に来て宿がないので泊めてあげてた。あと以前住んでいたある男も仕事を辞めて京都で仕事を探しているらしく泊めてあげていた。こんな狭い部屋に3人で住んでいたなんてことだ。最悪のシェアハウスである。

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(写真はシェアハウスしてたのとは別の友達)

そこからもちょくちょく酒を呑んだらダラダラしてた

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見れば見るほど最悪である。最悪の学生生活を送っている。何も学んでいない。しかしまあそんなことをしていると当たり前のように留年してしまい、周りの同期もどんどんいなくなっていったのと、コロナの影響で、家にいることが多くなったので、家の家具でも揃えてみようと言うことで、卒業前の同級生や、その他いろんな人からいろんなものをもらってきた。どうぶつの森の流行りに乗って家具を貰って配置していたのである。その結果今はかなり環境の良いキャンプ場になった。

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キャンプ場なのは変わりない、なぜなら部屋が、極寒だからである。しかし、住みやすくなったのだが、バイトなどもしておらず、このまま住み続けるのが困難なので退去することにした。様々な思い出が詰まっているなと感じる。まあ諸行無常というもので、いづれは終わることだだったのが来ただけである。仕方ない。

今では会わなくなったり何をしているのかも知らない人も沢山いるが楽しい思い出ばかりだったと思う。

加藤登紀子「時には昔の話を」



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