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脳に魔法をかけられるか。 vol.1 昆虫食レポート

不気味な味付きゆで卵。


昼食のお供に、コンビニで半熟ゆで卵を買った。殻に覆われているのに、なぜか中身に塩味のついた不思議なゆで卵。

殻を剥いて口にした瞬間、ウッと舌が退いた。こんなのおかしい。殻を剥いた瞬間から味付けがされているなんて、まるで人間の口に合わせるために産まれた卵みたいで不自然だ。程よい塩気をまとった白身を咀嚼しながら、吐き気が込み上げる。これは私が知っている卵じゃない。

もちろんそんなわけはない。卵の殻にはひよこが呼吸するための小さな穴が無数に空いていて、茹でたての熱い卵を冷たい食塩水につけると、浸透圧で塩気が中に潜り込むのだ。理屈としては十分に理解していたし、手に取った時まではなんとも思わなかった。

脳に記録されていた直感が、このゆで卵を拒否した。

私たちは思想を持って自分達を納得させながらものを食べている。安全と清潔でパッケージされたものを選び、安心して口に運んでいる。

コンビニのゆで卵は、私の脳がまだ完全には信じきれていなくて、疑念から拒否反応を起こしてしまったのだった。

脳を説き伏せる。

ところで私は、人生でまだ「虫」を一度も食したことがない。地域によっては郷土料理になっていたりして、食べ慣れているという人もきっと少なくないはずだ。都心部で生まれ育った私にとって、虫は相容れない存在である。子供の頃、みんなが甘くておいしいというツツジの蜜を吸う勇気すらなかった。虫がこびりついていそうな気がしたから。

私自身、ものすごく虫がダメというわけではない、けれど、基本的に用事はないので関わらずに生きていきたい。

コオロギ給食が炎上して、牛乳ショックが叫ばれ、鳥インフルエンザでマクドナルドのてりたまが食べられなかった時、「今、虫を食べてみるべきではないか」とふと思った。

単純に「食糧危機になったら虫を食べて生き延びよう」という発想ができるようになるのもあるけれど、私が考えたのは「理屈で脳をねじ伏せられるか」ということだ。

国際連合食糧農業機関(FAO)は2013年に昆虫食を推奨していて、以下がその理由となる。

①すでに世界では1900種以上の昆虫が伝統的に食べられている
②飼料転換効率(食べる量に対して自分の体重が増える比率)が高い
③昆虫の多くが高タンパク

海外では結構昆虫食研究が進んでいて、食材の一つとして昆虫を載せる家庭料理本もあるとか…昆虫は食べ物としてそこそこ優秀で、実際食べている人も多いということだ。調理法によっては味も悪くないらしいと分かった。昆虫食についてまとめた本に「サクサクして香ばしく、美味」などの記述も見つけて、おいしそうかもしれない、と素直に考えてみたりもした。

下準備を十分に整えて、私は「赤信号クラブ」のメンバーとともに、こわごわ虫レストランへと向かったのだった。

未来食・昆虫。

私たちが行ったのは、渋谷PARCOの地下にある「鳥獣虫居酒屋 米とサーカス」という店で、虫に限らず普段食さない生き物を食べさせてくれる。ネオンの光る近未来的な内装で、いかにも怪しい。

他にも昆虫を食べさせる店はあったものの、そちらはアジアン料理店だったり居酒屋だったりと「普通」の店で、よくある食材や味付けの中にしれっと虫を紛れ込ませているようなところが多かった。そういう店は選べなかった。多分、食材として虫が使われている様子の違和感のなさ自体に脳が警鐘を鳴らして、口をつけることができないのではないかと思われた。ゆで卵と同じように。

土曜日の夕方、店内は混み合っていた。予約がなければきっと入れなかっただろう。それは渋谷パルコという立地のせいでは全くなく、むしろ地下の奥まった陰気な位置にあるのに席は混んでいて、恐怖心と好奇心が店いっぱいにざわめいているのを肌で感じた。

青い電灯に照らされる「世界が大注目のサステナブルフードです!」

ところで今回集まった赤信号クラブの他の面々は3人で、1人は虫好き(てんとう虫を捕まえたり、蝶を追いかけたり)、1人は虫嫌い(家で見つけ次第、即惨殺)という妙にちょうどいい組み合わせになった。

相談して、3つの料理を選んだ。

・6種の昆虫食べ比べセット(イナゴ佃煮、コオロギ、ウジ、ミールワーム、ハチノコ、タガメ)
・サソリの丸揚げ
・ナマズ唐揚げ

前座にナマズを頼んでみたものの、あっさりとして特にインパクトはなかった。ものすごくおいしいというわけではないので、常食されていない理由もなんとなく理解する。

本丸は6種の昆虫食べ比べセットだ。話題のコオロギは今後を考えるとぜひとも口にしておきたいし、ポピュラーなイナゴやハチノコも、いつかどこかで勧められた時のために食べておいて損はないと思う。その他は想像もつかないけど…。

赤い漆塗り風のお盆に懐子がうやうやしく敷かれ、6種の昆虫がおばんざいのようにそれぞれ少量盛られていた。仰々しい雰囲気。さあ勇気を奮い立たせてくださいよとお膳立てしてくれている気がする。

写真は生々しいので描きました。

それぞれ少しずつつまみながら、感想を話し合った。喋ってないと脳が催眠術から覚めそうだったので、私は一生懸命、口を動かしていた。6種の食レポは以下。ちなみにイナゴとハチノコ以外は基本的に油で揚げて塩を振ったものだった。

イナゴ佃煮


甘辛ダレでテリテリ。

甘辛の味付け。他の虫は体が小さいので、そこそこサイズのあるイナゴに食べ応えを感じた。おそらくこの味のおかげで、「虫」感はかなり少ない。ご飯のお供。

コオロギ


目を細めればけっこうかわいい。


さくさくしたスナックのような食感。節張った見た目のイメージと違わない。味はナッツのように香ばしく、6種の中では最もおいしく食べられた。虫好きは「これはポップコーン!」と頷いていた。

ウジ


視認しづらいので食べる時に助かった。


染み付いたイメージは相当に悪いけれど、そもそも個体として小さく、味はほとんどしない。噛むとプチプチと潰れる感覚があるものの、「食べ物」という感じがしない。以前付き合っていた男の家で、放置された鍋にウジが沸いていたことを思い出しかけて、忘れるよう努めた。

ミールワーム


細紐。


個人的に1番懸念していた芋虫系。節のある虫より食感が気色悪そうだなと思っていた。ただこいつも細くて小さいので、あまり食べている感は薄い。揚げてあったので香ばしく、こちらもナッツ系の味。ただ少し独特の臭みがあり、むにむにした肉の部分が臭いのもとなのではないかと思われる。

ハチノコ


見た目がしんどい。


こちらも甘い味付け。なのだが、奥の方に苦味を感じる。変に甘くしているせいで余計にその臭さと連動した苦味が迫ってくる。ハチノコが1番虫っぽく、まずかった。これでハチノコ、ハチミツは経験したことになる。働きバチや女王バチはどんな味がするのだろう。

タガメ


かっこいいフォルム。緑。


甲殻が硬く、タガメはハサミを使って解体する必要があるのだという。しかも可食部は極端に少ない。面倒なわりに、うまみの少ない食糧だ。背中をパックリ開けると緑色の内蔵が現れた。蟹味噌をイメージすると分かりやすいと思う。

ひと舐めすると、まずは舌に塩辛さが乗り、そして次の瞬間、爽やかな青リンゴの香りが鼻から抜けていく。青リンゴそのものというよりは、駄菓子などに付けられた香料のような香りで、虫嫌いが「ニセモノの青リンゴ」と表現していた。塩味は、タガメを塩水に漬け込んで後から足したものだが、この青リンゴはタガメ自身の味らしい。

タガメが最も今までにない味を体験できた。昆虫を食すにあたって「新しい味覚の発見」を期待するなら、タガメはぜひおすすめしたい。

プレートだけでは寂しいので、せっかくならもう一品くらい、と追加でサソリを注文することになった。毒抜きされていることを祈る。

サソリの丸揚げ


黒くて小さい伊勢海老といった雰囲気。

なんとなく爬虫類を思わせるコミカルなデザインで、手のひらサイズだったこともあり、食べるのにほとんど抵抗はなかった。部位によって味が違うということだったので、解体してそれぞれ味わう。

ハサミが最も硬く、カラッとしていてエビのような濃い味がする。脚はハサミよりも柔らかく、同じようにエビの味がするものの、海鮮系の臭みが少し。尻尾は苦く、腐った魚のような後味がある。毒とは関係があるんだろうか?胴体は肉が苦く、尻尾以上に後味が臭い。蟹味噌の腐ったような味だ。砂漠でサソリに出会ったら、ハサミを食べればいいということが分かった。

魔法は重ねがけしなければならない。

ひと通り余すことなく食べ終えて、店を後にした。この後に団体利用が控えていて、席は2時間制だったのだ。虫本体以上に膨大な新しい情報を食べて、胃は空いているのに脳が満腹中枢を叩きまくっていた。

結構高いお金を出して、心理的嫌悪感のあるものを食べて、全体的におかしな体験だった。

脳をだまくらかして、虫をおいしいと思わせることに成功した瞬間が何度かあった。それは、味付けや調理方法、提供時の演出、お店の人の解説、事前に蓄えてきた知識など、あらゆる工夫を総動員した結果ではある。それでも、何度も繰り返すことで少しずつ、記憶と連携して脳に思想が浸透していき、食卓に虫を平気で並べられるようになるのだと思う。

今これを書いている私は、魔法が徐々に解けてきている。店に行った日は、「これも食べられそう」と外にいる虫を眺めていたのに、今日カナブンを見かけた時には、口に入れる想像が勝手に広がってゾッして吐き気が込み上げた。

日々、口にしている「普通」の食べ物にかけられた魔法が、いつかふとした拍子に解けてしまうこともあるかもしれない。そんな恐ろしい未来がやってきたらどうしよう。新しい栄養源を求めて、もう1度、脳に思想を染み込ませながら、昆虫食に挑むしかない。

参考文献

事前に読んで行った本や、昆虫食にあたって個人的に思い出した本などを記載します。

石川伸一『「食べること」の進化史』
昆虫食以外にも、培養肉や3Dフードプリンターなど、現在から未来につながる食のことや、それによって人間の体がどうなっていくかなどがまとまっていた。昆虫食学会は今、異様に盛り上がっているらしい。それだけ可能性を感じるということなのかも。

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ『昆虫食と文明―昆虫の新たな役割を考える』
これは買うだけ買ってまだ全部読めてない。ただこの本の序章のところに、作者がレストランで昆虫を食べるシーンがあって、それが結構おいしそうだった。ちょっとだけ虫への抵抗感が減ったかも。

村田沙耶香「素晴らしい食卓」(『生命式』)
小説。登場人物たちがそれぞれの価値観に従ってものを食べる話。次世代の完全栄養食「ハッピーフューチャーフード」を食べる夫と、それに付き合う主人公である妻、前世が「魔界都市ドゥンディラス」だという設定でそこの料理を自作する主人公の妹、妹の婚約者はフライドポテトとお菓子しか食べず、彼の両親は虫の甘露煮を好む。皆、それぞれ信念に従って食べるべきものを食べている。それを食べさせようとしたりやめさせようとしたり攻防。今自分が口にしているものを問い直したくなった。
読みながら星新一の「味ラジオ」という話を思い出していたら、村田さんもsそのショートショートのファンだとエッセイに書いていたのでうれしかった。

記号化されたサイゼリヤの注文方式の話(Twitterなど)
感染症対策もあって、サイゼリヤが「PZ-01」など料理名に割り振られた記号を紙に書いて店員に渡して注文するスタイルになったという話。論点とは違うけど、「マルゲリータがPZ-01に置き換えられるのは味気なさすぎる」という感覚があるなら、例えば虫も別の言い方をすれば少しは親しみやすい味に変わるかも、となんとなく考えていた。森のポップコーン(コオロギの素揚げ)とか。

江國香織『すいかの匂い』
小説。女の子のちょっと変わったひと夏の思い出。そこに出てくる男の子が、アリが登っているスイカをアリごと食べる場面がある。プチプチして酸っぱくておいしいのだという。食べようという気にはならなかったものの「アリってそんな味なんだ」と嫌悪感なく受け入れられた子供の頃の体験。

終わります。

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