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ガンから生き残る秘訣

★最初に
乳がん3期のステージから再発、骨転移。5月23日に骨転移の宣告を受けて、8月1日には自然消滅してました。PETで調べて、目に見える範囲のがんはありません!と言われたのです。骨転移の診断を受けて消えるまでの、3ヶ月間、私が何をしたのか書くことにしました。その中に大きなヒントがあると思います!


★乳がんステージ3からの出発

37歳でした。右胸に硬い石のような物が手に当たりました。直感的にガンだと思いました。実父は胃がんで42歳で亡くなってます。早いよ~早すぎる~!頭の中でグルグル回ってました。とりあえず母に伝えました。広島大学病院に紹介を受け、検査。即日、全摘出か温存療法かと詰め寄られ、全摘出を選びました。全く何の情報を得ることもなく。このときは、選択肢は無かったのです!
 5時間に及ぶ手術を受け、目覚めたときには、右の乳房はなくなってました。 
無くしたる乳房一つと思えども吾は妙齢の女なり
当時読んだ短歌です。

★退院はしたけれど再発

際限なく落ち込み、生きて来た人生を否定されたようで、どうやって生きていけばいいのか、分からなくなって、後悔ばかりしてました。そういう精神状態では、再発は当たり前でした。1年後、右鎖骨のリンパ節に転移!電気ノコギリで鎖骨を切り、中のリンパ節を取りだしました。直後に抗ガン剤投与で、切った骨がつきません。骨移植となり、骨盤の骨を削って鎖骨に移植する手術を受けました。鎖骨はプレートで留められました。
退院はしたけれど、落ち込みはすざましかつたです。ガンという病気にスッポリはまり込んだのです。胸の奥に氷を抱いたようなスポットがあり、逃げられません。死ぬことばかり考えていました。今現在、生きているのに!
★蘇りの出会い
 落ち込んでいる私を、主人が車で連れ出してくれました。朝の通勤時間帯でした。車窓から忙しそうに歩く人の群れがみえます。その時、自転車の前•後ろに子どもを乗せて、一生懸命ペダルを漕いでいる人をみたのです。私も、そうやって子どもを育ててきました!突然、涙が溢れ、悟ったのです!今、生きてるじゃないか!死んでないのに、死にまといつかれている自分が見えたのです!生へと蘇った瞬間でした。あ〜あ生きてることを、今命があることを大事にしなくては!

★海外旅行に励む
 右腕は脇の下のリンパ節を取ったので、2キロ以上の物が持てません!浮腫んで痛みます。どうせ痛むのなら、痛みの若いうちに、したいことをしよう!
 海外に出ることでした。団体旅行の1人参加でした。旅程はフリーの物を選びました。フランス、イギリス、ギリシャ、イタリア、ベルギー、スペイン、台湾、韓国、中国、シンガポール、カタールと毎年出かけました。

★再発から12年経って再再発
胸椎と腰椎に骨転移の印が現れました。左手が上がらないので、主治医に言うと、骨シンチというアイソトープという放射線で骨を染めて検査します。ガンの転移の所は真っ赤に染まるのです。左側胸椎と腰椎が真っ赤に染まりました。骨転移です。骨転移はガンの末期症状なのです。骨芽細胞の代わりにがん細胞が主導権を握り、骨が作られず、破骨細胞が骨を削り続けます、その結果癌性骨折となり、際限なく骨折し、寝たきりになり、死んでいきます。
なのに、主治医は抗がん剤をしようとも言わず、ビタミン剤だけだしました。医者から見放されるとは、このことです!骨には抗がん剤も効かないのでしょう。
 考えました。医者が駄目なら、自分でガンを消そう!と。
 これまでの知識の蓄積がありましたので、まず湯治に行こうと。がん細胞は42度で死滅します。島根県にある温泉津温泉には、42度以上の湯温の温泉があるのです。輝雲荘という全国10位までに入る、宿がありました。予約をとり1週間滞在しました。日中は10時から15時まで、部屋を出ないといけないのです。幸いともだちが温泉津町内に居ましたので、昼間はそこで過ごしました。毎日2度温泉に入りました。熱い湯は、本当に熱い!温熱療法です。広島竹原市からここに湯治に来ていた人と仲良くなりました。奥さんが、保育園の園長。自分は夜の界隈を遊び回るのが好きだと言うのです。そして、スキューバダイビングして、それが治まり、人生が変わった、だから、貴女もスキューバダイビングをしてみたら、と言うのです。人生が変わった!という言葉に引き込まれました。よし、やってみようと、海になど何年も入っていないにも、かかわらず。泳ぎはできましたから。翌週沖縄に飛んでいました。

★骨折から始まる沖縄でスキューバダイビング  

那覇市内にあるブルーゾーンというダイビングショップに飛び込んで、初歩のライセンス、Cライセンスにトライしました。どうせならライセンス取得の方が目標ができて良いと考えたからです。机上の学習を終えて、プール実習も終えて、実際に潜る湾を探しました。ショップのバンに乗って、移動してました。バスタオルが背もたれから落ちたので、取ろうと右腕を伸ばした時、ボキッと音がしたのです。ウッ!痛い!右胸にヒビが入ったかなぁ!
湾に着いたけど、痛くて潜れそうにない!
考えました。このまま沖縄に残って潜るか、我が家のある広島に戻るか?
結論は、このまま沖縄で潜る! 

地上ではウエットスーツが痛くて着れないので、インストラクターが海中着るのを手伝ってくれました。水をスーツの中に入れると、割合簡単に着れました!酸素ボンベやらアクアラングやら身につけましたが、沈みません。インストラクターが重り、ウエイトをつけ忘れたのです。台風一過の海は波が荒く、マウスの横から海水がドバッと入ってきます。こうやって死ぬのかなぁと思ってると、ウエイトが付き、海中へ。たった一匹でしたが、魚に出会い、目が合ったのです!可愛い!これが、潜る力になりました。規定の回数潜り、Cライセンス合格。それなら次のライセンスも取ろうと思い、アドバンスも取りました。
その間、宿とショップの往復のみ。波酔いして、ご飯が食べられない事もありました。宿は那覇市内のメルパルク沖縄に取りました。食べられない私を気遣って、宿の料理長がおかゆを作ってくれたり、おにぎりにしたり、私メニューで励ましてくれました。その間痛みはあったはずなのに、記憶から落ちてます。人の優しさに感激する毎日でした。
この時まで確かにがんはありました。

★あの人に会いたい!


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