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レールに敷かれた人生

1.きっかけ

友達と酒を飲んでいたら急に今までを振り返りたくなった。午前2時、明治通りの信号が青に変わるのを待ちながら書き始めている。たしかにこのじかんは星が綺麗だと脳内がBUMP OF CHIKENになってるが気にせず筆を進めようと思う。文才がなく読んでて不快になる場面が多々あると思うが、その点ご了承願う。

2.レールに敷かれた人生を歩む

紆余曲折あったが、今ある幸せを噛みしめることが自分のできる精一杯であり最大の幸福である。

1997年に長崎で生まれ物心つくぐらいまでそこで過ごした。父親は某自動車メーカーのエンジニア、母親は保育士である。正直ちゃんぽんが美味しかったことと、兄貴の部屋でカブトムシを放し飼いしてバレた時にこっぴどく怒られたことぐらいしか記憶にない。
その後、おそらく父親の仕事の影響で東京に転居し今に至る。

教育スパルタな父親のせい影響で、小学校入学後は習い事と勉強しかしていなかった。その結果、友人付合い等の経験による人格形成のプロセスを踏んでいないため、逆コナンのような人間(見た目は大人、中身は子供)ができあがってしまった。しかし自分が人間として欠落しているのを感じるようになったのは大学生になってからだった。それについては後述する。

父親にこの中学に入れと言われたから勉強し、結果的に合格することができた。自分の意志は一切なかったため合格自体に嬉しい感情はなかった。ただタスクを消化しただけにすぎなかったから。
なんなら合格発表を見に行くのすら、親が見に行きなさいというから行っただけで合否なんて正味どうでも良かった。周りはすごいお金持ちそうな親子達が合格者が張り出されている掲示板の前で一喜一憂してる姿を今でも鮮明に覚えている。「なんでこの人達は、こんな裕福で幸せそうな見た目してるのにこんなことで泣いているんだろう」と。
こういう思想をもっていると、「子供なのに大人だね」とよく言う人がいうが私は違うと思う。ただリードを繋げられたまま飼いならされた結果、猿回しの猿のように自我が欠落してしまっているだけだ。

中学は男子校だったが、ここには自分と同じように人格を捨て勉強しかしてこなかった云わば牧羊犬しかいなかった。自分の学校が世間にどう思われてるかは、電車で話してる人達のを盗み聞きして知った。
フェイクニュースほど情報の拡散係数は高い。きっと情報の真偽に関わらずゴシップのようなインパクトが大きいものほど人に話したくなるからだと思う。
話が脱線してしまったのでもとに戻す。
この学校はかなり色々特殊だったが、その一部でいうと親の職業でクラス内のカーストが決定されていた。ドラマで言うと花男のようなものだ。最下層は一般職、中堅で医者・社長・教授、最上層は財閥・政治家のような感じだった。もちろん私は最下層に位置していた。
普通ではありえないが、教員も学生に対して明確な区別をしていた。しかし怖いことにこれが当たり前だと思っていたので当時は何も気にならなかった。

時系列が少し戻るが、中学入学とほぼ同時期に父親が単身赴任した。ついに束縛から開放され、段々と自我が芽生えるようになってきた。
その反動のせいか、中学時代は勉強を一切せず同カーストの友人とずっと麻雀や部活をしていた。上位層の人と関わることすら基本タブーだったし、なにより価値観が合わないから、必然的に今付き合っている友人グループが構成された。

とりあえず、書いててある程度満足したので一旦中学生編まででこの記事を締めようと思う。モチベーションはあるので、後日続きを書く。
中学生では一切勉強はしなかったが、徐行ではあるが敷かれたレールを進んでいた。しかしレールが外れるのは一瞬だ。

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