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ニューグレンジ行きツアーとその後、コンチキツアーの終わり

アイルランド旅行記 2001年8月~その8~
 8月11日

 朝、ホテルを出発してバス・エーランへ。チケット売り場でニューグレンジ行きのツアーチケットを買おうと思ったが、空席無し。どうしても諦めきれないで、しぶとくバス付近で待機していたら、出発間際にキャンセルがあってギリギリ乗れることに!!すごくうれしい。

タラの丘より

 ついにバスが出発。まずはタラの丘へ。一面草に覆われていて標識だけだったけど独特の空気が漂っていた。小高いところからの眺望は抜群で、丘のふもとがすべて見渡せた。いにしえの上王はここから見下ろしていたのだろうか。墳墓もあって、閉鎖されていたが、外から中が見えるようになっていた。一つの石には文様が刻まれていた。ちなみにタラの丘は、聖パトリックがアイルランドにキリスト教を布教した地でもある。

ニューグレンジ

 そしてトリムを少し見て、ついにニューグレンジへ!!外で少し説明を受けた後、墳墓内へ。羨道が少し傾斜していて両サイドに大きな石が並んでおり、中には文様が刻まれたものも。石室に入ると3つの埋葬施設があり、それぞれに皿状の石が安置されていた。冬至の日に光が差し込む様子を再現してくれるエキシビションも見れた。すごく神秘的で、死後の再生という観念を実感した。きっとボイン渓谷の人たちも年に一度この光景を目にし、そういう思いを抱いたことだろう。とても貴重な体験ができた。

 大満足でツアーを終え、ダブリン市内で買い物をしていると、・・・なんと、腕時計の時間が止まっていることに気づく。頭の中が真っ白になって、慌ててホテルへ戻る。部屋に置き手紙が差し込んであったので、急いでホテルのロビーへ。今夜はバスで夕食を食べに出かける予定で、もうとっくに出かけていたのだった。タクシーで追いかけることになったが、レストランへの道が閉まっていたり、運転手さんが道を間違えたりしてトラブル続き。ようやくたどり着いたら、皆私が来るまで食事を待っていてくれたみたい・・・。皆、ごめんなさい。そしてありがとう。

 8月12日 
フェリーにて、イギリスへ移動。初日と同じホテル滞在。夜は皆で別れを惜しんだ。

 8月13日
 7:45にホテルを出発してヒースロー空港へ。途中で親切なおばさんが、次のに乗り換えないと空港に着けない、と教えてくれた。やっと空港に到着。チェックイン時に英語の意味が分からず(最後の最後で!)手間取ってしまった。恥ずかしいやら、他の乗客に申し訳ないやら・・・。ヒースロー空港にはお店が沢山あって目移りした。ボディ・チェックなどを済ませた後、搭乗手続きを待ちながら朝食にベーグルを食べた。

 帰りの飛行機についての日記は書いていたのやら、紛失したのやら・・・。もう20年以上前の出来事なので忘れてしまった。が、このアイルランド旅行を無事に終えたことで、自分の新しい一面が発見できた。内容の濃い、充実した旅だった。いろいろとハプニングも続出したが、何者かに守られているような、そんな不思議な旅だった。・・・そして、”今度は実際にアイルランドに暮らしてみたい、アイルランドの人たちと深くかかわりたい!!”という思いが芽生えたのだった。
 


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