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次の人



その日、私は出張で海沿いの街へ来ていました。



予定より早くホテルにチェックインできたものですから、景勝地だというその付近をランニングすることにしました。
知らない街、知らない風景。Googleマップでは分からない小さな気づきを自分の足で埋めていく感覚が好きで、出張先でのランニングは私の趣味になっていました。準備はいつも持ち歩いていました。
軽装に着替え、靴紐を結び、ホテルを出ます。


初夏、夕日が傾き始めた時間帯でした。


海沿いへと続く長い階段を軽い足取りで下り降り、厚い木々に覆われ薄暗くなった車道に出ました。温まった体のすじを丁寧に伸ばします。

山頂に立つホテルからほんの5分ほどの場所です。額にはじんわりと汗が滲んでいましたが、反対に気温は少し低くなった気がします。


ひぐらしとうみねこの鳴き声。ざあざあ、と風が枝葉を揺らす音に、だんだん波の音が重なります。


雑木林を抜けると、眼前に海が広がっていました。



岩石海岸というのでしょうか。海面からそびえ立つように猛々しい巨大な岩が点在していて、周りには白波が立っています。深い青の海面に夕陽がきらきらと反射して、ため息をついてしまうような、見事な景色でした。


いざ走ろうとふと辺りを見渡すと、年配の男性4人が記念にと海を背景に写真撮影をしようとしていたので、私は自然と写真撮りますよ、と声をかけていました。

普段はそのようなお節介はしないのですが、年齢を重ねても仲睦まじくじゃれあう友情に素直に好感を持ったのか、はたまた絶景を前にして心が浄化されたというか、善い人であろうと心情に作用したのかも知れません。


いいんですか、ありがとうね、と老人はスマホを渡してくれました。

何枚か撮る中で、一番背の低い1人の背の低い老人がに私に手を合わせてぼそぼそ、と何かつぶやきました。周りは何言ってんだよ、と笑ってその老人の肩を叩いていたりしましたが、うっすら聴こえてきたその言葉が場に似つかわしくなかったので、気持ち悪いな、やっぱり撮らなきゃ良かったかも、と聞き流してスマホを返してその場を後にしました。

砂浜が広がるような、いわゆる海水浴場然とした場所ではなかったので、コンクリートできれいに舗装された海沿いを走ります。


30分ほど汗を流したところでしょうか。だんだんと日も落ちてきました。

またうみねことひぐらしの鳴き声が重なって聴こえます。


時折波が強く打ちよせられ、しぶきをあげて舗道へ乗り上げます。舗道の端の方は完全に波に覆われていたので、少し危ないな、


小さな子供だったらさらわれてしまいそうだな、


そう思った瞬間、ざばぁ、という波の音と同時に全身が粟立ち、私は無性に泣きたくなりました。

自分がなぜそう思ったのかは分かりません。でも脳裏には、小さな男の子が波にさらわれていく映像が鮮明に浮かんでいました。どうして、待って、行かないで、と必死に手を伸ばしたけれど、もがきながら、小さな身体が水中に沈んでいきます。妄想というにはあまりにも現実味を帯びたイメージが一瞬で私を通過していきます。私の足は止まっていて、心臓がどっどっと早鐘を打ち、うっすら俯いてぼうっとしていました。

潮の匂いが濃く立ち込めます。
帰らなきゃ。私はなぜだか悲しくて、怖くて、ばらばらになって消えてしまいたくなっていました。ここにいてもいいことはない。むしろ、と。


踵を返したその時でした。

遠くからうっすらと、サイレンの音が聞こえてきました。

私はまだ何かに囚われているのかと耳を疑いましたが、次第に近づく音と、木々に覆われた林道の隙間から覗く救急車の回転灯を見て、どうやら現実であると認識しました。

救急車は老人たちを撮影した場所に停まっていました。

何が何だかわからないまま近づくと、3人の老人がおろおろとする中、救急隊員が倒れ込む老人の状況を確認しているところでした。

背の低い老人が、上下からものすごい力で引っ張られているようにひきつけを起しながら、泡を吹いて倒れていました。



彼は、私が写真を撮った際ににたにたと笑みを浮かべながら


「南無阿弥陀仏」


と呟いていた老人でした。




老人が倒れた経緯や、救急車で搬送された後どうなったのかは分かりません。



わからないことが、ただただ不気味でした。





翌日、同僚にこんなことがあったんだよ、と話すために今回の出来事を帰りの車中で反芻していると、長い信号待ちに捕まりました。都市部、帰宅ラッシュ時です。車列は遅々として進みません。


視界の端に、とんとんとん、と車の間を縫うように黒い影が見えました。はっとして目をやると、



一羽のカラスが、運動会の袋跳びのようにしてぴょんぴょんと移動していました。

飛べるはずなのに不思議だなあ、と物珍しさから写真を撮りました。
こちらに首を向け、アー、と可愛らしく鳴く声が聴こえます。
昨日の不可解な出来事から一転、胸が温かくなるような出会いにほんの少しですが、前向きな気持ちになりました。


やっと車列がゆっくりと動き出しました。



ぴょんぴょん。


カラスは私の一つ前を走っていた車の下に潜り込み、



ぺきょん、と轢かれました。



灰色の道路に、つぶれた内蔵の赤が広がります。カラスは黒いせんべいのようになり、肋骨が飛び出していました。

半ば放心状態で、死骸を踏まないように車を動かします。

その後職場の車庫に戻るまでの景色は曖昧で、思考も溶けたようにまとまりませんでした。


しばらくして私は、どうして、と考えます。


昨日私が写真を撮った老人はもがき苦しんで倒れ、さっき写真を撮ったカラスは臓腑を撒き散らして死んでしまいました。




私には見過ごせない懸念がありました。



原因もわからないし、ただの偶然だと思うのですが、写真を撮る、という行為が被写体に不幸をもたらすのでは?



次に私がカメラに収めた人が、撮ったその日に車に轢かれて、心臓を抑えて、炎に包まれて、通り魔に刺されて、階段から転げ落ちて、悲しくなって首を吊って、海で、て、を、蝿がたかって腐り落ちて、苦しくて風呂で、海で、海で、苦しくて、海で、海で、海で、あの海で、海で、海で、海で、どうしても助からなくて、海で、誰も助けてくれなくて、溺れ死んでしまうのでは?





誰かに迷惑をかけるのもいやなので、自撮りをしてみました。










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