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新潟県道117号線を走るうう

若い時から何度も行っている新潟県十日町市土市。
父が仕事中の事故で亡くなった現場である。刑事ドラマでは「げんじょう」というのだ。
叔父や兄たちと車で。これは何も考えず、車の中で笹団子を食べて寝て、で現場に着くのだった。
年を重ね、公共交通機関を使い、独り、或いは息子と一緒に何度も訪れた。


若い時に、しっかりと目の前にある駅名を覚えていたのが役立っている。


こちらは、国鉄の飯山線という路線なのだが、この時刻表を見るとわかる通り、本数が少ない。寧ろ、バスの方が多いかもしれない。

飯山線車内だ。背景から走行中に撮影がわかるかと思う。
そう、2019年のコロナ騒動前の夏。乗客は私1人だったのだ。

免許証は持っていないし、そもそも車は助手席に乗るのも怖い。鉄道に乗り遅れたらどうなるか。そんな事から、今回は隣の十日町駅で自転車を借りて県道沿いを走ろう!と思ったのであった。

と、ここのサイトで気になった写真があったのだ。

こちらの鳥居だ。
メッチャ、インスタ映えするやつですやん。

鳥居の横に作品が展示されているようだ。
十日町駅からは12㎞。道は簡単。

そして、自転車を手配し、いざ出発!!


え?雨ですやん。道を歩く人は傘をさしているし。
しかも、頭が大きい私。ヘルメットがキツク、調整にかなりの時間がかかっている。
もう帰りたい。。。おいおい、まだサドルに跨ってもいないやないかあ。
と、ここで大失態をやらかしたのだ。


レンタサイクルを借りる場所は、駅の西口、市役所も兼ねた観光案内所にある。私は自転車を借りてしばらく、西口のバス通りを走っていたのだ。
駅からすぐ目の前にある智泉寺さんはないぞー。と気づき、確認すると、東口に出ないと県道117号線には行けないのだった。
地下東西通路というのは、歩行者専用で階段だが、真ん中は自転車専用の、まあ、地下にある陸橋みたいなものだ。
東口から県道117号にはすぐなのだが、ここも道を間違えてしまった。
新潟方面と長野方面で言うと、長野方面に行けばいいわけなのだが、逆方向に走り、又しても失態を。
あああ、時間の無駄。。。。涙。

けれども、そこからは雨に降られながらも、道が1本しかないこと、人や車が滅多に通らないから事故の確率が少ないこと。で楽であった。

そんなことでゴイゴイスー!と進んでいった。


まずは、天台宗本城院だ。

豪雪地、新潟県十日町市にある本城院護国寺です。
御本尊さまはお不動さまです。
400年間この地でご祈祷をして(家内安全•交通安全•厄除け•六算除け•地鎮祭•お宮参り•七五三•十三参り•水子供養などなど)
みなさまの幸せを祈り続けております*
(ブログより)

素敵なお寺だった。
ブログ、Twitter共に、途中で辞めてしまわれたのかな・・・


入口に咲くコキアに誘われ、観音寺へと。
中には御本尊があり、檀家さんはいるのだろうなと思えた。
コキアの赤と屋根の赤が脳に残っている。こういうのは、茂木健一郎先生の分野?か!


あぜ道まで舗装か!と、昭和の時代に叔父たちが言った言葉を想い出す。戦後、ある大物政治家の力で新潟県全域は道が整備されたのだ。


蓑を被ったお地蔵様たちに誘われ、川治十王堂に。

自転車を走らせていると、県道沿いに大きなお地蔵さまが見えた。
雪国らしく、笠を被ったお地蔵様が数体並んでいた。
その後ろには幾つかお墓も観えた。
清水山と書かれた扉が閉ざされた寺院であった。
確かにここはかつては札所の1寺院であったはずなのだ。
その名残は残っている。
しかし、残念ながら無人寺であり、十日町市の資料を見ても全く何もない。
十王堂は日本各地に幾つもある。きっとここもそのうちの1つ、地域の人が旧くから信仰してきた場所なのだろう。
静かな山の中にただ存在する地蔵たち。
その空間を大切にしたいと思うのであった。


芋沢にある二社神社に。裏を流れる信濃川が雄大だ。

県道沿いにある無人の神社だが、敷地は広く、道祖神も祀られ、幾つかの石碑があった。
神社の前には町内会館があったので、町で管理している神社だろう。
この辺りは十二社神社が多いのだが、ここもそのうちの流れなのかもしれない。
裏手には日本1の長さを誇る信濃川がゆったりと流れていた。
雄大でさえあった。
自然の前には私たち人類は小さいのだと思う瞬間であった。

秋風や 石碑と共に 信濃川


事前の調べが甘かったのか、雨が降っていたからなのか。
道を間違えたり、戸惑ったりが多かったせいなのだろう。
目的地の稲荷神社の鳥居までは予定内にはムリだ。
何よりも、雨は止むどころか頂いた観光案内のチラシも濡れてしまっている。

ということで、もう帰る!


土市駅へと。


ススキが見事であった。

父想う 雨に打たれし ススキの穂

土市駅のそばにある由屋の蕎麦も今回は諦めた。


最後は曹洞宗智泉寺だ。
こちらは、本門が文化財になっている古刹である。

瀧澤山智泉寺は新潟県十日町市昭和町3丁目に境内を構えている曹洞宗の寺院です。智泉寺の創建は不詳ですが当初は魚沼郡水沢邑に築かれた城の城内に境内を構えていたと伝えられています。
城が落城し城主一族が没落すると庇護者を失い衰微しましたが天正元年(1573)~慶長20年(1615)に現在地に境内を移し雲高玄瑞大和尚が再興、師である价州傳良大和尚を勧請開山とし、自らは2世となりました。その後、寺運が隆盛し末寺3ヵ寺(圓通寺・慈眼寺・水月寺)を有するなど地域にある曹洞宗寺院の中で中心的役割を持ってきました。
智泉寺の山門は江戸時代後期に建てられたと考えられる建物で、切妻、銅板葺き(元茅葺)、一間一戸、桁行1間、梁間2間、総欅、素木の四脚門です。静寂な参道や管理された庭園、華美な装飾がない本堂など全体的に落ち着いていて格式を感じます。智泉寺山門は江戸時代後期の寺院山門建築の遺構として貴重なことから平成6年(1994)に十日町市指定有形文化財に指定されています。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、桁行12間、正面唐破風向拝付。
札所本尊の十一面千手観世音菩薩像は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672年)に高山村出身の瀧澤古右衛門が信濃川の川中から発見したもので、智泉寺7世鳳仙慧麟和尚は霊徳を悟り当寺に勧請したと伝えられています。妻有百三十三番霊場第1番札所(札所本尊:十一面千手観世音菩薩・御詠歌:補陀落や 岸打波は智泉寺の 美佐嶋山に 響瀧津瀬)。山号:瀧澤山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼如来。(十日町市より)

まず、この重要文化財指定の本門。ここは通り過ぎるだけで終わって欲しくない。
魅かれるように中に入るしかないであろう。
菩薩像、観音像と全てが素敵であった。

ただ残念な事に、こちらを訪れた時にはかなりの雨であったのだ。
せっかく撮影した写真も雨の滴で何がなんだか・・・
帰宅後、パソコンでチェック後に削除している。
又、参拝したい寺院である。

ということで、見逃した所が沢山あったのと、計画通りに行かなかったのと、雨で途中で泣きたくなったのと。
けれども、自転車で廻る楽しさも味わえた。
来年、雨が降らないだろう時期を狙い、また廻りたい。


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