見出し画像

梅の香に重要文化財の鐘楼 台東区 日蓮宗寿量山妙経寺 私の百寺巡礼197

山門から観える梅の木にはほんの少しではあるが、白とピンクの花が咲いていた。それがあたかも散歩する人を誘うようであった。

 寿量山妙経寺は、お釈迦様・日蓮聖人の教えを現代に伝えた日什上人を開祖とします。天文4年(1535年)、室町時代の僧侶日浄上人が、芝崎村(現在の千代田区大手町)に当寺を建立しました。
 江戸時代になると浅草に新寺町ができ、現在の位置に移転しました。門前には御題目宝塔、境内には梵鐘や支院(恵性院・真了院)・位牌堂が造られました。(日蓮宗ページより)


こちらの鐘は台東区の重要文化財となっている。

妙経寺の銅鐘は、総高151.5センチメートル、口径が96センチメートルです。銘文によれば、宝暦13年(1763)5月、当寺第10世住職日隆の依頼により、西村和泉守いずみのかみ政時という鋳物師が鋳造したものです。
 鋳物師の西村家は、延宝年間(1673~1681)頃から大正時代に至るまで11代にわたり鋳物師をつとめた家で、代々神田に住み、和泉守・政時を名乗っています。
この銅鐘を鋳造した人物は、4代の和泉守政時。4代は享保5年(1720)頃、3代の実子として生まれ、市郎兵衛・伊右衛門を名乗っています。宝暦8年(1758)12月父の死去に伴って4代を継承しました。安永4年(1775)4月6日に没するまで39点の作品を遺しています。その内訳は銅鐘26点、灯籠8点、塔2点、鉢・鉦鼓・香炉各1点ですが、中でも宝暦11年、芝の増上寺に9代将軍家重の霊廟が造立された際には、武蔵国忍おし藩(現・埼玉県行田市)阿部正允をはじめ、5人の大名から銅灯籠の鋳造を依頼されています。将軍霊廟の灯籠を依頼されているのですから、4代和泉守政時は当時著名な鋳物師の一人だったことがわかります。
 この銅鐘は、上部から中央部にかけての膨らみを下部でしぼり、均整のとれた造形となっています。江戸時代中期を代表する鋳物師の遺品であることとを併せ、貴重な文化財です。(台東区のページより)


本堂は小さく、敷地も広くはない。けれども、昔からこの地にある信仰の継承を感じる、そんな寺院であった。
開きかけた梅の花の香りがとても素晴らしかった。

門の先 紅白梅の香 御主題と

日蓮宗寿量山妙経寺
東京都台東区元浅草2丁目5−13
JR上野駅から徒歩10分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?