第20話 歴史修正主義大躍進の1997年
笠原十九司著『南京事件論争史』より、P231の「転機となった1997年」を要約します。
・1996年4月長崎原爆資料館の侵略・加害の展示を攻撃(この攻撃に毅然と対応した長崎一長市長は、2007年4月に暴力団員に射殺された)
・地方議会で「不戦決議」阻止勢力結集
・1月「新しい歴史教科書をつくる会」結成。第三次教科書攻撃。
・2月「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」結成(代表中川昭一、事務局長安倍晋三)
・5月「日本会議」発足。(「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合)
・5月「日本会議国会議員懇談会」発足
・1998年 #小林よしのり 著『戦争論』65万部のベストセラーに。
( #知多郎 注: #ネトウヨの生みの親 の悪書。こんなのを読んで洗脳される前に、ゆうさんの解説を読みましょう。 小林よしのり氏「戦争論」の妄想 戦争論2の妄想1 戦争論2の妄想2 )
・1998年映画『南京1937』放映妨害
・1999年1月出版社に右翼乱入
・2002年7月 鹿児島県議会、南京大虐殺記念館見学に反対
・2003年4月「百人斬り訴訟」提訴(原告訴訟代理人に稲田朋美も)
・2004年9月少年ジャンプ本宮ひろし著漫画「国が燃える」削除・修正事件
・2006年2月「百人斬り裁判」原告側敗訴。捕虜の首をはねる競争だったと確定。
南京事件がなかった論などというのは誤りであることが既に学問的に決着しているのに、歴史修正主義者が本格的にデマ情報をばらまき始めたのが1997年である。
著名な南京大虐殺なかった論者、 #東中野修道 氏に対する名誉棄損裁判に関する部分を笠原十九司著『南京事件論争史』より引用し、彼らがどのようにデマを拡散し続けているのか明らかにします。
関連サイト 夏淑琴さんは「ニセ証人」か?
歴史は忘れられない、真相には国境がない
――南京大虐殺生存者と共に歩んだ弁護士の20年
南京事件-日中戦争 小さな資料集
・東中野氏が南京事件の証言者を「ニセ被害者」と記述。
・2006年6月夏淑琴さんが名誉棄損で提訴。
(引用開始)
「東中野に直接申し上げたい」と証言したが、東中野は法廷にあらわれることはなく、準備書面で自分は「学問的な見解を述べたまで」と繰り返し、自分の言論が被害者の夏淑琴さんの心を傷つけた「第二の罪」を犯しているという自覚は全くない。
同裁判の東京地裁の判決が2007年11月2日に出され、夏淑琴さんの名誉棄損を認定し、慰謝料など400万円の支払いを命じた。判決文は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と言い切った。東中野の研究者としての資格を否定する厳しいものである。(中略)
戦後生まれの東中野が「支那」「支那人」「支那兵」という差別用語をことさらつかい、さらに「支那兵の反日攪乱工作隊」が市民や難民にたいして略奪・強姦・放火をおこない、それに欺かれた南京安全区国際委員会のメンバーが日本軍の暴行の記録として世界に発信し、南京虐殺説がつくられた云々と、裏付け資料もなく論を展開している。日本軍の残虐行為を根拠資料もなく中国人の仕業にすりかえる論法は東京裁判でも見られたが、被害者の中国人を二重、三重に傷つけ、冒涜するものであるという自覚は彼にない。
東中野の、中国軍捕虜の処刑は戦時国際法で合法であったとする論法にたいしては、吉田裕『南京事件と国際法』(笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年)に東中野の国際法理解の誤りが明確に指摘されている。たとえば、東中野は、「ハーグ陸戦法規」の民兵や義勇兵が同法規の適用を受けるためにには必要だとされた指揮官の存在、兵士としての特殊徽章の明示の規定を、「支那軍正規兵」の規定にあてはめて、南京の敗残兵、投降兵は指揮官もなく、軍服も脱ぎ棄てていたので、同法規適用の資格がなかったので、処刑してかまわなかった、と捕虜処刑は合法であるというのである。
戦時国際法をめぐって「吉田・東中野論争」がおこなわれたが、東中野が論破され、以後東中野はこの問題についてあまり言及しなくなった。東中野ら否定論者は、批判され、論破され、反論できなくなると論点をずらせ、新たな側面を見つけて否定論を展開し、それで南京事件がなかったように思わせるのを常套手段にしている。後述する南京事件の写真や国民党国際宣伝処の話がその事例であるが、南京事件の有無をめぐる本質的な問題ではないにもかかわらず、その新たな論点を批判しないと史実派も認めたと彼らは宣伝する。そして南京事件の事実そのものが否定されたように主張するので、私たちもやむなく新たな否定論を批判する。まさにゲームのモグラ叩きと同じである。否定派はすでに破綻した否定論の繰りかえしと、新たな否定論の「創作」という二つの方法で、否定本を多量に発行しつづけているので、世間一般は「南京事件論争」は決着がつかずにまだつづいていると錯覚することになる。それが否定派の狙いでもある。
(引用終了)
東中野氏の本がいかにでたらめなものであるかは、上記の本でしっかり「モグラ叩き」されているのでお読みいただきたい。本当にめんどくさい作業で著者笠原氏の嘆きもよくわかる。
知多郎としては、二重の苦しみを受け、東中野氏との裁判のために日本に訪れた被害者に一度も会わず、謝罪もなかったことが許せない。それが人間のとるべき行動なのか?恥を知るべきである。
その点、被害者と面会し、謝罪することで日中の平和友好に尽力した中帰連の方々は、東中野氏よりも100倍立派である。
違うというのなら、直接中国の被害者を前にして、中国で愚論を主張してみろ!遺族が続々と証言して、すぐに論破されるだけだ!
安全な日本で隠れて愚論を主張し続けるな!
今どき、南京事件なかった説などをとなえる者は、歴史学者に値しない。
「南京事件はなかった」ということにするために、都合の悪い資料は全て無視して、その結論にいたるための方法を創作し続けているだけなのである。