第16話 なぜ日本では、加害の歴史が風化したのか?

 それは、戦後処理の過程において、日本では加害の責任がほとんど問われなかったからである。


 歴史修正主義者は、東京裁判を不当判決だと主張しているが、アジアへ甚大な被害を与えたわりには、戦争指導者で罪に問われたものは多くはない。特に、A級戦犯で実際に死刑になったのは、わずか7名である。以下が半藤氏の解説だ。

(引用開始)
半藤一利 「東京裁判では七人が死刑ですが、東条英機は戦争全般の責任者、広田弘毅は近衛文麿の代わりで、非軍人を一人は最高刑にするという思惑があった。あとの五人はみな虐殺事件の責任を問われました。松井石根が南京、武藤章がフィリピン、木村兵太郎はビルマでの虐殺の責任だった。フィリピンは本間雅晴と山下奉文がいたんだけど、すでに死刑にしちゃったからバランス上、比島方面軍の参謀長をやった武藤が責任を問われた。
 ですから、そうやって見ると、東京裁判というのは連合国が最後に勝利の確認をしただけだといってもいいですね。」
井上亮 「東京裁判が当初のもくろみ通りにならなかったことを「日本無罪論」「戦争肯定論につなげる人たちもいますね。」
半藤「実はそうじゃないんですよね。さかんに日本無罪論をいう人がいますが、それは違うんです。あくまで戦争を引き起こした責任は東條と広田が負ったんですよ。少なくとも日本に戦争責任があるということはあの二人で示されたんです。無罪じゃないんです。残念ながら。
 ただ、惜しむらくは日本人の手で裁けなかった。日本人がやっていたらどうなっただろうかと思いますね。イフで考えると、もっと死刑が増えたでしょうね。そしてもっと混乱したでしょう。やらなくてよかったと思うよ。法廷でちゃんと審議された上の判決ならいいけれど、単に「あいつが憎いから」という復讐でやってしまう可能性もあるからね。」
(引用終了)

 ドイツでは、ニュルンベルク裁判だけではなく、「反ナチ法」を制定してナチス党員を裁き、自国民で戦争責任を糾弾し続けた。また、ホロコースト否定禁止法を制定して、デマの拡散を許さない。
 それに対して、日本の戦争主導者の内、7名だけが処刑され、他の者が無罪放免されたことで、戦争指導者の戦争責任はうやむやになってしまった。半藤氏が指摘するように、もし裁いたとしても、かえって混乱を招いてしまっただろう。
 やがて、朝鮮戦争が始まり、GHQが「民主化・非軍事化」路線から逆コースの政策をとり、自衛隊を結成。戦争指導者たちを追放解除したことで、戦争責任は完全に霧消してしまった。
 彼らが存命で、各界の有力者でもあったので、その罪を糾弾できる者もいなかった。巣鴨プリズンから釈放された岸信介氏が、アメリカの工作員になることで首相に返り咲くなどは、その典型である。
 こうしてドイツとは逆に、日本では、南京事件なかった説などの歴史修正主義が横行しているのである。
 なお、このブログ「日本再軍備 旧軍人公職追放解除で採用」の下記の内容が正しければ、右翼の中には、元日本軍指導者なので、自身の戦争犯罪を暴かれないように、戦争を美化する活動をしているということになる。
(引用開始)
 その頃、予備隊外に残された旧軍人は失望と不信感で沸きかえっていた。旧軍隊の高級将校たちは政府によって復役させられなかったことを不満とした。多数のものが右翼団体を組織したり入団したりして、現在に至るまで日本を悩ましている。彼ら自身で再軍備計画を左右できないと分かると、政府に鉾先を向け、アメリカを批判し、マスコミに軍国主義的声明を流し、若い予備隊員の士気を阻喪し、その人格を台なしにしようと努めた。
(引用終了)

 歴史修正主義は、日本人としての誇りを取り戻すなどの大義名分をとなえているが、表裏一体として、自分自身や親、祖父世代の加害責任を一切認めず美化する運動である。身内の名誉を取り戻すという私欲も極めて大きいのである。

 命を助けてもらったことだけで感謝すべきではないのか?なぜ「名誉」まで望むのか?欲張り過ぎである。そのために、被害国の中国や韓国を叩くのか?人の痛みを知らない蛮行である。

 結局、戦後75年以上も日本は平和を謳歌してきたが、戦争の反省、特に加害の反省が不十分なまま、嫌戦意識だけで平和をとらえていた。これは実に脆い砂上の楼閣であり、一度バランスを崩せば、安易に再び戦争に巻き込まれてしまうだろう。

 そして、日本国民は、何ら歴史に学ぶことなく、戦犯の孫達でもある歴史修正主義者に騙されて憲法改悪を選び、アメリカの参戦要求によって、戦争に巻き込まれる道を選ぼうとしている。

 先の大戦同様に、「それでも日本人は「戦争」を選んだ」。
 そんな未来にならないように、まずは憲法改悪を阻止するために、この小説を連載中。ごちゃごちゃ字が多くて読みにくいでしょうが、勘弁願いたい。