対聖戦

中東のある地域では、20世紀からずっと聖戦が人気だ。

コーランと呼ばれるとても大切な教えを厳格に守るため、男達は日夜戦地に赴く。

戦地とはいっても、自分達の住む街中で路地を1本隔てた向こう側が敵陣になっているという、極めて過酷な生活環境のことだ。

だから、戦地で戦いを続けると、その分自らの生活苦に跳ね返ってくるのだ。

時には、家族や恋人などの大切なものにさえ影響が及ぶこともある。

しかし、戦地はここだけではない。

2002年には、合衆国はニューヨークへ赴いた。

たいへん長い旅となったが、彼らは敵陣に政治界を揺るがすほどの恐怖を与えることに成功した。

かの事件は大変意味のあるものだったと、彼らは考えている。

だが、もっと広い視野で見てみよう。

結果として多くなったのは、彼らの後ろ楯としている宗教およびその信者達に向けられた冷たい目だった。

彼らとて聖戦を計画して実行できるくらいに頭の良い集団だ。

その事実に気付かない訳はない。

ただ、捉え方に若干の違いがあったようなのだ。

「注目を集めることができた」

つまり、世界中の人間が自分達をスター扱いしていると考えたのだ。

スターというのは良くも悪くもその動向を追跡される職業であるといえよう。

一方で、スターを見ている人間はその対象について観察し、そのアクションによってリアクションを変えていくことを刷り込まれている。

従って、スターの動向いかんによってスターを見ている人間がどうなるかが決まるというわけだ。

コーランを愛する彼らも理屈は同じだ。

その想定通り、世界中が彼らの動向を注視し、リアクションを表現してきた。

だが、近年はこの傾向に変化が生じてきている。

さて、今回はここまでにしよう。

みんながこのテキストを注目していると分かったときにでも続きを書いていこうと思う。

ではでは。

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