社畜道を極めんがため一念発起する

社畜道、なかなかに奥深く険しい道である。

小職が今の勤め先に勤め始めたのは15年前である。

少し過去に遡る。

幼き頃、経営、投資、皇帝学など一切教えられず田舎で鼻水を垂らしながら

将来なりたいものなど聞かれた時には、パチンコ屋の店員さんと結婚したいなどと

話していたクソガキであった。

勉強は嫌いであったが一夜漬けと神より与えられし特性スキルである

マゾ気質を活かし、自身を痛めつけ覚えた短期記憶の甲斐があって

学校では常に中の中をキープ。

誰もが絶望視していた県内の進学校の高校に辛くも合格し

誰もがお主は文系と言われていた私は、会えて絶望の道である理系に飛び込んだ。

水の分子構造すらも分からぬ私に、当時の化学の教師は諦めに似た表情を

いつも私に与えてくれていた。懐かしい思い出である。

私は国立大学に行き、教師の道に進むと皆に宣言し、その時の皆の失笑は

我が人生の中でもトップクラスに入るほどの期待のなさを感じるものであった。

センター試験を受けようと雀の涙程の勉強を必死にしていた私は

ある時、全く担当でもない古文の先生より、ある四流大学のAO入試がある事を

勧められ、秒速で断った翌日、なんと両親が既に願書を送っていた。

まぁ、面接の練習にはいいかと内心怒りで震えながら面接会場にいくと

定員10名のところ、わずか8名ではないか。大丈夫かよ、この大学はと

大学の経営の心配を真剣にした事を覚えている。

面接では、君の持ち味は何か、大学で何を学びたいか、なぜこの学校を選んだのか

など、全く本心でもない回答とともに興味のない面接が過ぎていった。

面接の最後、面接官から「有意義で沢山の友と共に良い大学生活を送れるようにね」

と言われ、あぁ、これは合格前提であるのかと気づいたものである。

さて、この合格は断って国立大学に挑戦するぞと帰り、翌日

なんと両親は既に入学金を納めたという。面接終了後即自宅に合格通知連絡が

あったとのことで、即入金したとの事。

本人の意思は完全に無視され行くことが決定してしまったのである。

せめてセンター試験を受けて自身の微々たる結果を確認したく

センター試験を受けようとしたところ、教師より

「決まったものが受けると皆の士気を下げるから受けないでくれ」

と教師あるまじき発言(リアルでこう言われた)を受け

当時は、この学校と教師は頭がイかれていると感じたが

今思うと、今も強くそう思っているのである。あの恩師にはあとで

一発入れてやろうと思っているところである。

受験がどうでも良くなった私は、数々の悪い事や言えぬ事を経験した。

とにかく暇だったのだ。

大学に入る前、AO入試受験者にはもれなくプレゼントとして

想定を超える量の宿題を渡された。それは高校三年間の全てを

全部思い出して解いてこいと言わんばかりの問題集であった。

愚直な私は、教科書を片手にひたすら答え埋めていった。

宿題提出期限直後、実力試験と言われ入学者全員が

入学早々にテストを受けることになった。

なんと宿題で渡された内容からの抜粋ではないか。

その結果は、三年目の評価に計上するという訳のわからなさは

さすが四流大学ここに極まれりと感極まったものであった。

なぜか仲良くなった特待生も追い越し、取得単位数と成績、

入学時の実力試験結果からなぜか300人の入学者の中で5位という

本当に頭の悪い連中が集まっているのだなという驚くべき結果となっていた。

好きな研究室を選び、最も手を抜き楽勝にクリアできる卒論テーマを

選べた事が、当時非常にラッキーであった。

卒論も訳もわからず完了させて、社畜としての第一歩、就活へと続くのであった。