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命の時間と向き合う④

母が病と兄とお金のトラブルによりすっかり弱々しくなってしまい、自分で自分の生活が支えられなくなてしまったので、私は母を私の扶養にし、弟が実際に母の日常を手助けしていることが多くなりました。

実際に私は、お金は出すものの日常的な世話に関しては弟がしておりました。

その時、彼は殆んど働いておらず必然的に時間があったということでもあるのですが、かなりの手抜きではあったものの、家事らしきこともしており、母の話し相手にもなってくれており、私にとっても都合がよく殆んどを任せてしまっていました。

その結果としてなのですが、母と弟は共依存のような関係になっていってしまったのです。


母の面倒をみてくれるのは有難い一方で弟か経済的に自立出来ないことに、仕事を本格的に探さないこと、そして時間が経つに連れて、全く行動出来ていないこと、細かいことを言うようですが、電気代や母の医療費やその他、一万を超えるような金額の支払いが全く出来ず、私に頼るようになっていて、私はその事に段々うんざりしてきました。

母のことはあるにせよ、この先どうするつもりなのか、家はあるにしても最低限の生活費はどうするのか?

兄は兄で、全てのことに知らん顔で、家族とろくに口も聞きません。
(そのくせ家からは出ていかない)

それにも腹がたっており、とにかくなんでこんな目に合うのかと、私は被害者のような気持ちになってしまっていました。

兄といい弟といいなぜこんななのか?

家族なんかホントにろくでもない。

私の人生には、邪魔でしかない。

私は、つくづく家族運に見放されているような気持ちになってしまっていました。


しかし、それでも私は、全てを捨ててしまうことが出来ずにいました。

その時はあまり気付いていませんでしたが、そこには私自身に経済的、精神的にメリットがあったのです。

今、母が3回目のガンとなり、その事で奔走中ではありますが、過去のことがなぜか鮮明に思い出されます。


続きます。


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