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『何』になりたいか、より『どう』生きたいか

なぜ大人は『将来は何になりたいの?』と聞いてしまうのだろう。そんなことを数年前からずっと考えている。日本の文化なのか、なんなのか。


最近引き寄せが強い私、
頭にふと浮かんだ人から連絡がきたり、
タイミングよく鉢合わせたり、
正直怖い。(スピリチュアルw)

本当に1回や2回じゃなくて
最近はまあまあな頻度で起きるのだ。

と、少し話が逸れたが数日前
4年前に働いていた塾の教え子から急に連絡が来た。

『会いたい』

前の職場(塾)は、奈良。

今住んでいるのは、大阪。

それがたまたま、その連絡が来たタイミングで、その奈良の働いてた職場の近所に用がたまたまあって向かっている途中だった。


『たまたま◯◯駅に向かっているよ』

『え、私も今◯◯駅にいる。あと何分?』

『あと15分ぐらいだけど…』

久しぶりの彼女、
いきなりどうしたの?と聴くと

3学期から急に不登校になってしまった
ということだった。

彼女は奈良でもトップの高校に行っていて
優秀な生徒だ。人懐っこくて先生にも友達の
ように接してくるぐらいの明るい子だ。

詳しく聴くと、
中学を卒業して奈良トップの進学校に入り
周りは勉強がよく出来る子ばかり、
親からは有名大学へ入るよう期待をかけられ
プレッシャーで押し潰されて急に不登校。

自分でも原因がわからないらしい。
原因がわからないというより、
きっと小さなストレスの積み重ねだろう。

ここ最近も3日ぐらい家から出ず引きこもって
やっと家から出たタイミングで私に連絡をして
きたみたいで、偶然に会えた。

きっと会うべきタイミングだったんだと思う。


お笑い芸人ロザンさんの
いつかのYouTubeで言っていた。

偏差値が高い高校や大学に行くと
将来の視野が広がると思われるけど

『弁護士になりなさい』『医者になりなさい』

などなぜか周りに仕事を決められて視野が狭くなる。

京大に入った宇治原さんは、
芸人になると言った時に
大勢の人から反対されたらしい。

そういうことだ。
もちろん全員ではないが大人は
子供の将来を勝手に決めつける。

でも、『何になりたい』が大切なのか?

医者になったら幸せになれるのか?
大企業に入ったら幸せになれるのか?

誰が幸せと決めるのだろうか。 


自分が大人になってから気づいたことだが
誰も教えてくれなかった。

進学校に通っていた私、
大企業に入る友人たちもたくさんいる。

私は現在26歳で、転職は2回。
ニート期間もトータルすると1年ぐらい。

大企業に入った友人から
こう言われたことがあった。

『転職の鬼やん(笑)』

馬鹿にしてるわけではないかもしれないが
いいニュアンスではなさそうだ(笑)

ジムのインストラクターに転職するときも

『進学校まで行ったのに、(誰でもなれる)
インストラクターになるってすごいなあ』
と言われたものだ。

ただ私は自分に満足している。

自分の好きなものを理解して
直感のままに生きている。


誰がなんと言おうと
『自分のスキ』を大切にしている。

だからいつも親には事後報告。

『仕事辞める』『次はここに転職する』
『ここに引っ越しする』『海外行ってくる』

全部決まった後に報告する。

『少し考えなさい』
『やめておいたら?』
『こちらはどう?』

とか

『彼らにとって』

いいと思う選択肢を出してくるから。


ただ私のこだわり、
『何』よりも『どう』生きていきたいか。

1番は自分の直感を大切にしたいということ。
(頑固すぎますね笑)

ずっと周りと比較して生きてきたけど

そういう考え方をしていると、
周りがどうかよりも、自分の直感がどうかに
比重が大きくなってきた。

どんな小さなことでもいいから
自分のこだわりを大切に

『何になりたい?』よりも
『どうなりたい?』という問い方が増えて

いろんな生き方を肯定されるように

みんなが生きやすくなればなあ、

そんなことを願ったのでした。

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