敬意

人と人との違いを認め合うって言葉にすると簡単だけど、難しいよね。

違う理由がわからないから「なんでできないんだ!」と腹が立ったり、「あいつは根本的におかしい」と存在を全否定することになる。

自分と他人は置かれている状況も違えば、考え方も価値観も違って当たり前なのにね。なんで同じであることにそんな躍起になるんだろう。

多様性をもった組織のほうが、総体として強いってのもあるんだけど、多様な価値観を持つってのはなかなか難しい。不愉快なこと理解できないことも多いし、「多様性を認める」という意味においてはモノカルチャー的でもある。ちょっとした宗教的。人間はそこまでかしこくもなれないとも思う。

そんなこともあり、最低限許容しちゃいけないものを決め、理解できない範囲においてはなるべく敬意をもって接するというのが結果的に最適解になる気がする。理解も納得もしなくていいので、敬意だけは持っていこうぜというスタンス。分断したってしょうがない。

前に読んだ「世界は贈与でできている」にもあったけれど、自分が敬意をもつだけでは全然ダメで、そもそも自分は「贈与をされた」から「その恩返しをしなければならない」という謙虚さが無いと、そもそもの敬意のあり方自体が成立しないんだとも思う。

今はコロナのせいでみんなパニック状態になっているせいもあってか、収奪の論理ばかりが蔓延っているような気もする。

自分が今まで与えられたものに思いをはせながら、そんな時こそあらゆるものに敬意を払うような心持ちも大事だとは思うんだけど、そんなんじゃ世界はなんも変わらんよな、とも思う。北風と太陽、世の中はどうすればもうちょっと良くなるんだろう。最近よくわからなくなっています。

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