初めまして。杉本遼平です。【tenectionスタッフ向け】

この記事は弊社スタッフに向けて、
代表の杉本は一体どんなやつなんだ!?
って記事をボリュームタップリお届けする暇人向けコンテンツになります。
わりとドラマチックに描けるかなーって思っています。
そこの暇を持て余しているそこのあなた。あなたの人生になんの役にも立たない、だけど読み応えのある記事で時間を潰してやってください。
潰せる時間はおよそ7分となっております。

では、どうぞ。

みなさんはどんな学生時代を過ごしましたか?

この記事を読んでいるのは美容師さんが多いから、
きっとコミュ力高くてクラスのカースト上位に位置している、そんな『陽キャラ』が多いでしょう。

僕はどうかって?
高校時代はクラスカースト下位でした。
シンプルにイケメンじゃないし、
僕はバスケ部だったんですが、サッカー部と野球部が幅きかせてる僕の出身高校ではバスケ部は日陰の存在でした。
(あ、バスケ部のせいにしましたが、単純に僕のコミュ力のなさが原因です!笑)

生来の負けず嫌いで、
そのくせめっちゃ不器用です。
バスケも小手先で勝負したらレギュラー取れないから
朝練前に10キロ走って、夕練後に柔道部とウェイトトレーニングをしてバスケ部とは思えないフィジカルで戦っていました。

そこまでやってもレギュラーなれず。
陰キャラの補欠でした!笑

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中学まではそこそこ真面目に勉強していたので
高校はいわゆる進学校だったんですが(偏差値60前後くらい?)、バスケばっかしていて勉強しなくなり、
そこに親への反抗期も重なり
意味なく、大学には行かんって勝手に決めて
そして勝手に専門学校に進学を決めました。

親とは1年くらいバチバチやって
自分のお金で行くならって奨学金フルベットで借りました。

そこそこ楽しい専門学校生活を送って(いや、楽しすぎてほぼ寝ずに遊んで遊んであそびつくしました)
就活は遊びすぎで、真面目に取り組まず
学校が紹介してきたところにフワッと決めました。

それが地獄の始まりとも知らず。

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新卒で入ったサロンでは、新人がチラシ配りをして
ついでにお客さんを連れてきたらめっちゃ褒められる。そして5月に新人全員の中で(80人くらい)1番お客さん連れてきた人がめっちゃ褒められる!!
ってイベントがありました。

僕はやっぱり小手先が不器用で、技術レッスンではあまり認めてもらうことができず、
だけど、そのお客さんを連れてくるって分野で活躍することができました。
負けず嫌いなのに不器用というハード人生の勝ち筋はみんなが勝負したがらないところで勝負する戦法がはまったわけです。
そして、その『めっちゃ褒められる』イベントで優勝できたおかげで僕の美容師人生が大きく決定づけられるのでした。

僕はお客さんを連れてくる(当時はこのことを『ハント』んでいたのでそう呼びます)ハントだけをする男になったのです。

たまたま、僕が入社するタイミングがその会社の出店するタイミングと被って、入社して4ヶ月後には新規出店店舗に配属になりました。

そこですることは当然『ハント』

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たまにお店が忙しかったら、シャンプーくらいはすることはあっても
基本的に出勤したらやることはハントのみ。
毎月平均50人前後は街ゆく人に声かけて髪切りにきてもらってました。
1ヶ月で最高は111人です。

そして、なんなら同期のカットモデルも基本的に僕が見つけてきて
後輩のカットモデルも僕がハントしてきてました。

ちなみに、当時のお給料は手取りで6万。
1年経っても10万ほどのお給料でした。
(ちなみに26歳でその会社辞めてるんですがその時のお給料は12万でした。笑)

美容師をまともにすることなく、26歳で美容師を終えました。
そして、そのときに残っていたものは250万の借金と何者かになりたい野心だけでした。

身の回りにいた『何者か』は当時勤めていた会社の社長でした。

家は芦屋の大豪邸。車は赤いジャガーにポルシェのカイエン。
エルメスで80万のジャケットを悩みもせずすっとカードで購入。

ああ、美容室のオーナーになったら何者かになれるのか!
と単純な僕は考えました。

だけど、借金しかなく、技術もできない。それでどうやって美容室のオーナーになったらいいんだって散々考えた結果出てきた答えが
リクルートに行くことでした。

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なりたい『美容室オーナー』に営業して集客のことをあーだこうだ偉そうに言えるってことはなりたい『美容室オーナー』より経営のことをわかってるはずだ!
そんな感覚で選び、
そして採用してもらうにはSPIもあるということで3ヶ月全力で国数英の勉強をし直して面接突破してなんとか念願のリクルートに入りました。

とんでもないエリートばっかりがいるとビビりまくっていたのですが、
そこは天国でした。

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営業というのは基本的に泥臭いものです。
足を使って何度も訪問し、時には罵倒されることもあるけどめげずに何度も訪問することで関係を作っていき成約を決めていく。

先輩や同期はそんな泥臭いことを避け電話でアポ取りばっかりしていました。

もちろん媒体力のあるホットペッパーならそれで受注できることもあるのですが『気合と根性』で訪問しまくる僕の方が当たり前に受注数を稼ぐことができて、
入社半年で組織内でめっちゃ受注してくるやつの地位を確立しました。

8ヶ月目には所属グループ数年ぶりの個人で賞も取って(成績がいいやつが誉められまくるやつ)自信がつきました。

で、1年経って借金も順調に返していき、
あ、これ、独立できるなって思い出して
自分ならどんな美容室を作るかの構想をする時間を
1日3時間取るようにしました。

仲良くなったオーナーさんに考えたことを何度も壁打ちして
営業回りながら得た知識を持って1年かけて磨いていったのです。

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当時、業務委託サロンの大全盛期で
これめっちゃいいじゃんって思いました。

だけど、ただ、世の中で流行ってるのものを真似しただけではなんの価値もないなと思いました。

で、業務委託サロンでは楽美容師さんたちにたくさんインタビューをして抱えてる課題を聞いていきました。

でそこで設定した仮説が
・低単価でずっと続けるのが不安
・人間関係がドライすぎる

この2点でした。

この2点を解消した業務委託サロンのようなサロンをやる!
というのがINCE HAIRの出発点です。

で、たくさんのお客さんを集客し続けることで
スタッフのお給料はなるべく高くする!

それでもって、指名をつけやすい環境を作って単価を上げていって将来の自分の人生の選択肢をたくさん持てるようにする!
そして、みんなが優しくあったかい現場になるようにする!

そんな想いで始めました。

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で、加古川に1店舗目出すことになるのですが、
加古川にしたのも『絶対失敗したくない』からで、
僕自身、加古川に縁もゆかりもありませんでした。

関西全域を調べて、1番集客の難易度の低いエリアが(当時は)加古川だっただけです。

それが爆裂に当たりました。
オープン2ヶ月目の新規のお客さんの数は700名を記録しました。
新規が700名です。
2020年の3月のことでした。。。

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で、バブルのような状態でスタートが切れたのですが、
まさかの翌月にコロナで緊急事態宣言です。
3ヶ月目だったけど、スタッフは既に10名近くいました。

なのに、緊急事態宣言が始まると
1日の客数が3人なんて日もありました。

オープンしたて、
貯金も100万くらいしかない。
来月のホットペッパーと家賃とかの支払いしたら
スタッフの給料はらうの厳しい
そんな状態でした。

で、その時に助けてくれたのは藤山さん(今の高砂と別府のFCオーナー)と、それまでに来てくださったお客さんたちでした。

現状を共有して(まさにこのnoteで)支援を募ったところ、
トータル100万近い支援をいただくことができました。

藤山さんからも150万ほど借りてモロモロの支払いに当てました。

そして、5月には緊急事態宣言も解けて
売上も元の戻り借りたお金もすぐに返すことができたのでした。
あの時助けてくれたみなさんには感謝してもしきれないです。
当時の記事

それからは2020/10に明石に出店。
2021/1にageless出店
…..
2023年現在はグループ
13店舗まで成長することができました。

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今年は第二創業だと思っています。
最初の想いが全然実現できていないという課題感からです。

『みんなの単価を上げたい』
『優しい職場にしたい』

僕の未熟さで、想いだけで形にしきれていないと思っています。

本気で原点である現場で働く美容師さんたちが
本当にやりがいを持って働ける環境を作るために
新しいマネーシャーたちと精進していくし
結果出していくのでtenectionのみんなも一緒に頑張っていきましょう!!

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