そもそもがなってないんじゃないか?

クリエイター達のいる広い世界で、日本という国程、「出る杭は打たれる」国民性が故に、報われない生き方を強いられている国は、ないのではないだろうか。

脚本家が原作者の意向を知らないままに仕事ができる。仕事を進める前に、それを確認する必要について、必ずしなければならない。という認識がないのは、脚本家ひとりの責任ではないとは思うけれども、知らされなかったから、知らなくても良いこと。でもなかった様にも思う。

初めての脚本作成なのか?原作者があっての作品作成は初めてだったのか?不明な部分はあるけれども、釈然としないものを感じる。

例えば、車やバイクのカスタムアップをするとすれば、少なくとも、自身が行う変更に対して、最低限の法令やレギュレーションは理解している必要があると思うし、構造や材料、強度に対する知見が必須なのだと思う。そもそもそういう知見がない輩は手を出して欲しくはないし、もし、無知故に事故になり、他人に危害や損害を与えてしまえは、然るべき責任がついてまわるのは、ある意味必然であると思う。そして、そういう業界の住人達はそれを当然の事として受け入れていることを思う。

ところが、である。

どうやらライツで食べている人達が、その根拠たる法令なり、その成り立ちについて、相当に稚拙な理解しか持ち合わせてはいないらしい事が今回表面化した。

呆れるをかなり通り越す事態である。

利益を得るための根拠を深く理解しないままに、それを根拠に碌を食んできていた。と言われても仕方のないことであろう。

まぁ、確かにその知見を持ち合わせているのか?という資格試験があるわけでもない。しかしながら、今回露呈したのは、業界全体が、無免許運転上等!俺の車は高いんだぞ?道を開けろ!的な業態になっていたのは信じがたい。

避ける側も、あそこの車に当たったら痛いものな?ここは道を譲るか…。になっていた様にすら思える。

筆者自身もフォトグラファーとして、某誌に採用を頂いた事がある。発刊から数年経過して自宅に「利用したい」旨の連絡があった。折り返しの連絡をしそびれた。とは、思っていた。

ある日、銀行の待合室にだけ置かれている冊子に、同じ様な企画があり、興味深く中を見れば、丁寧に改変が加えられた、どう見ても自分の写真だとしか思えないモノが掲載されていた。

恐らくは、先方としての連絡をした。折り返しがなかった。という筋は通したのだから問題ないという理解だったのだろう。と、想像をした。
その際の私の心情は、「どうせこんなペーペーのフォトグラファーの言い分なんぞ、一笑に伏されて終わるだろう。自分にしか撮れない写真という訳でもないから、インスパイアされただけなどと、強硬に主張されれば泣き寝入りをするしかないだろうし、何も変わらない」と思ったことを記憶する。

もう40年程も経過をしているので時効であると思われるが。たまたま、父親は裁判所書記官をしており、最後の部署は知的財産権を争う部に所属をしていた。広く市井の意見が聞きたい。と、証拠品と思われるモノを見せられる事があった。

まぁ、良く弁護士もこれで訴訟に踏み切ったなぁ。と、呆れる程、これっぽっちも似ていない人形やらが多くあり、弁護士を含む市井の知的財産権に対する理解の低さを思い知ったものである。

その昔、そんな社会的環境があったことは否まない。

しかしながら、もう、そんな幼稚な世界からは脱却しても良いのではないか?

ドラマから喫煙のシーンは消え、スポ根モノは益々ソフトになり、セクハラ、モラハラの時代であり、残業が月に100時間を超えたら大騒ぎになる時代である。私が新人の頃は、月に100を越えないと、「仕事してねぇな」と蔑まれる時代であった。月に残業が80時間を超えるのは、誰もが常態化していた。

そんなものは変わったし、変われた。

もう二度と絶対にこんな事件を起こしてはいけない。

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