見出し画像

ゆらゆらハピネス太朗 京

25年か。
てことは9才だ。
どこにいただろうか、その頃は。
9才ってことは4年生くらいだとして横浜か?たぶん戸塚だな。ボタンを押すと勝手に湯加減を調整して、湯船にお湯が溜まると勝手に止めておいてくれるお風呂が家に現れたころだ。
これまでは水とお湯の蛇口を捻って出てきた水を指先でちょんちょんする遊びをしながら温度を確かめていたし、「よぉしこれでいい」と安心した小学生のこどもは晩御飯を食べ終わるころまでお湯を止め忘れていたりしたし、給湯器のスイッチを入れ忘れてひたひたに水が溜まっていたり、それをなんかガス栓をひねって、あれなんていうんだ?ノズル?ハンドル?というかウルトラセブンの頭みたいなつまみ(どちらかと言うとエースか?平らっぽいし)みたいなやつを押し回して、今度はまた別のハンドル(金曜ロードショーのお爺さんが回してる映写機のハンドルみたいなやつ)を2回くらいガチンガチン音がするまで回して、セブン(エース)の頭をこれまでずっと押したまま何秒か待って、最後に押し込むのをやめてから素直に最後のところまで左に回してやっと火がつくと追い焚きができて、「よぉしこれでいい」と安心した小学生のこどもは今度はぐらぐらの熱湯になるまでお得用の小さなソフトじゃないソフトクリームを食べながらテレビをみていたりして。
水でも熱湯でも当然叱られたが、そうなる前に誤魔化そうとたくらむと、溢れる分には少し減らしてあたかも「今日はちゃんとできましたけども」という素振りもできるが、湯船の栓をし忘れるとそこには何もないのでいつもにも増して「しまったぁ」となる。ところが、なんとこのボタン式のお風呂はとにかくに全てのことが完了してボタンを押すと最後の仕上げに「お風呂の栓はしましたか?」と丁寧に聞いてくれるのだ。それは優しい声で。「してないけども」と何度助けられたかわからない。そんなバカなやつがいるのかと驚く人もいるだろうが、きっと今思えばあるあるだったのかもしれない。わざわざメーカーが仕込むくらいだから、企画会議で強烈に主張するサイコがいたかユーザアンケートで上位だったのだろう。しかし、そのおかげで世界の今日のお風呂当番のこどもたちはあのボタンに助けてもらってきたはずだ。そして今日もどこかで「ありがとな、ボタン…」とかしこい子はリアルタイムで感謝を伝えているかもしれない。自分はといえばやっといま気が付いた、てやんでぃべらぼうめぃなので今さら初めて改めまして、ありがとな、ボタン…

ゆらめきのプロモーション映像がでて、びりびりきた。Dirはいつでもかっこいい。

そんなことを考えていると、フードコートでけたたましくあのごはんができましたよのうるせぇブザーがなった。三つ同時にだ。なんかもっと他の音に変えられるボタンとか止めるボタン付けるとか、ボタンの世界でもこんなに格差があるのかと思っていると、女性3人のうち小綺麗にしたひとりだけが席を立たない。スーツのふたりがせかせかと小走りで消えて、少しするとその部下らしき方がでかいちゃんぽんどんぶりと餃子がのったお盆を両手に持ってあまり見たことないバランスで運んできた(脇にポーチを挟んでいるのが難易度を急上昇させていたと思う)。それを目視してから小綺麗女が立ち上がって迎えに行く素振りを見せるが、テーブルまであとたったの数歩だ。
ボタン界にも人間界にも見えない不条理の弾丸が飛び交っていると言うのに、20何年も誰かとして何かを続けるってのはどんな気持ちなんだろうか。

京さんすげぇなぁ。
かすみはいまでも聴きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?