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なぜガールズ・アラウドは2000年代を代表するガールグループになれたのか 2年目以降編

前回ガールズ・アラウドの華々しいデビューについてnoteに書いたので次は2年目以降の紆余曲折について書いていきます。

ガールズ・アラウドは2年目に大きな戦略に出た。
サラ以外のメンバーが髪の色を変え服装もカラフルでポップになりジャケ写で笑顔を見せるなど大胆なイメチェンをした。
音楽もそれまでの大人に反抗的なレトロロック路線から女の子らしさを全面に出した今時ダンスポップ路線へと大きく変わった。

このイメチェンは成功しこの年のシングル『ラブ・マシーン』は彼女達の代表曲となりチャリティ番組『チルドレン・イン・ニード』の公式ソング『アイル・スタンド・バイ・ユー』は2度目のチャート1位を取った。
そしてセカンドアルバム『ホワット・ウィル・ザ・ネイバーズ・セイ』を携えた初めてのツアーも成功し順風満帆かと思われた。

しかし3年目に大きな壁が立ち塞がる。
マクフライの本格的なブレイクだ。

若者のトレンドがガールバンドからボーイバンドに移り3年目初のシングル『ロング・ホット・サマー』は7位となりガールズ・アラウドが初めてシングルトップ5位以内を逃したシングルとなった。
次にリリースしたシングル『バイオロジー』はなんとか4位になったもののその年のアルバム『ケミストリー』は11位で唯一トップ10入りを逃したアルバムという不名誉な記録が残った。

4年目はオーストラリアへの進出や1番人気のシェリルがサッカー選手のアシュリー・コールと結婚、注目度が高まりシングルの売り上げも『サムシング・カインダ・ウーーーーー』が3位、トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズのカバー『アイ・シンク・ウィア・アローン・ナウ』が4位とチャート上位に戻ってきた。
また初のベストアルバムが1位を獲得するもこの年リリースされたオリジナルソングが2曲のみというファンには不満の残る年となった。

そして5年目、ガールズ・アラウドは一気に勝負を仕掛けてきた。

4年目までのポップさを一切捨てアグレッシブなビートとデビュー当時のロックサウンドを融合させた新曲『セクシー‼︎ノー・ノー・ノー…』をリリース、ジャケ写では統一感のある衣装でクールな表情を見せている。
ここでガールズ・アラウドは『原点回帰』と『大人になる事』を同時に果たしたのだ。
応援してきたファンも20代に差し掛かるタイミングで大人になった姿を見せる事でファン自身も大人になった事を実感させた。
チャートは5位と微妙だったがファンの望んだかっこいいガールズ・アラウドが帰ってきた。
そして今後の方向性を決定付ける次のシングルをリリースする。

ミドルテンポで大人のポップスを確立した『コール・ザ・ショッツ』だ。
この曲で特に大切なのはこれまで「永遠の5番手」と揶揄されてきたニコラがこの曲の要となる大サビを歌った事で5年目のガールズ・アラウドが躍進したのはニコラが大化けしたからである。
ニコラの大化けについてはまた別のnoteにまとめる予定だ。

6年目にガールズ・アラウドは第2の全盛期を迎える。
当時流行った60年代サウンドを取り入れた『ザ・プロミス』が1位を取る大ヒット。
その年にリリースしたアルバム『アウト・オブ・コントロール』も1位を取り翌年にはザ・プロミスで念願のブリット・アワード『最優秀ブリティッシュ・シングル賞』を受賞した。
そしてここで更にニコラが大化けする。
愛犬の死と彼氏との破局を経て長年伸ばしていた髪を切った。
ファンは一度ショックを受けるも「あれっ?この髪型もかわいくない?」とすぐに立ち直り一気に垢抜けたニコラはファッション界でも成功していく。

ガールズ・アラウドの音楽は全て音楽制作チーム『ゼノマニア』によって作られている。
ガールズ・アラウドの強みはあらゆるジャンルの音楽を自分達のものに仕上げる事でまさしく2年目のシングルからキャッチコピーに使われていた『アラウド・サウンド』なのだ。
ガールズ・アラウドはその後休止期間を経て2012年に再結成、ベストアルバムとそれを引っ提げたツアーを開催後解散を発表した。
彼女達は休止期間があったとは言え10年間メンバーチェンジをせず活動してきた稀有なアイドルグループとなった。
この功績は後のアイドルグループにも引き継がれる礎となった。

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