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【読了記録】今月読んだ本 ~23年9月編~

まだ暑かった


稲垣栄洋『生物に学ぶ敗者の進化論』

 約30億年も続く進化の歴史で、必ずどの時代にも勝者と敗者がいる。その中で常に生き残り続けたのは敗者側だった。という本です。敗者側は自分の身を守りたいが故に姿かたちを変化させたお陰で、急な環境変化にも耐えられ、結果的に絶滅せずに新たな時代へバトンを繋げられたという話です。

 個人的に読んでて思ったのは「進化は自らの意思で行うものではない」という点です。「進化させてきた」と記されていますが、あくまで進化というのは結果論かなと私は思います。すべての始まりは遺伝子のコピーミスですが、これによって置かれている環境に優位に働くか否かは変わってきます。勿論その中に自らの意思の介入はありません。その中で偶然、遺伝子のコピーミスが良い方向に働き、次の世代へとその形質が引き継がれていくことが「進化」なのかと思います。

 敗者側は進化側から何とか身を守ろうとは自らの意思で行うでしょう。そして次世代へ命のバトンを必死に繋げようとするのも必然です。勝者側は敵がいませんから、多少悠長に考えてても良いはずですし、性行為の回数や子供の数も敗者側よりは少ないことが多いです。このような視点で言えば敗者側の方が、進化するタイミングが多くなり絶滅を避けられるというのも有り得る話です(私は専門家ではないので違っていたらすみません)。

 本著では種々の敗者の戦術が紹介されていますが、勝者側が侵入してこない厳しい環境へ身を投じることが多い印象です。海から陸、陸から空がかなりイメージしやすいところでしょうか。厳しい環境に適応することで以前の敗者が新たな勝者にもなりえます。しかし、その勝者もいずれは敗者にひっくり返される・・・「盛者必衰の理」みたいなものでしょうか。

 あと、最後に現在の人間は勝者側じゃないのか、という話がありまして、そこが一番印象深かったです。

カルロ・ロヴェッリ 著、竹内薫 監訳、関口英子 訳『すごい物理学入門』

 『すごい物理学講義』で著名なカルロ・ロヴェッリ氏の本です。内容としては物理初学者にも優しい物理学の本ですが、非常に噛み砕いて説明されているのでスラスラ読めました。物理学が苦手って人でも「物理学とはなんぞや」「物理学の何が凄いのか」というのが掴めるのでおすすめできます。

 『世の中ががらりと変わって見える物理の本』を改題・文庫化した本著ですが、世の中の視点は確かに変わるような内容です。実際、私達が意識して観測できるのはせいぜいニュートン力学に支配された世界くらいです。ニュートン力学では身近な事象を説明できますが、できない事象もあります。それこそニュートンが発見した『万有引力の法則』であり、物体同士はなぜ何もないはずの空間で互いに引き合うのかはわかりません。
 その完璧な解答こそがアインシュタインの『一般相対性理論』であり、非常に美しい理論です。この理論はミクロな視点である量子力学とニュートン力学を橋渡しできる偉大なものです。物理学の面白さがここに現れていますし、世界の見方が変わる要因もここにあると思います。

 熱と時間が密接な関係があるという点も面白かったですし、「ブラックホールの熱はロゼッタストーン」という記述は非常に詩的センスを感じる表現だと感嘆しました。数式はほとんどないですが、物理学の本質を掴める良書でした。

杉山泰一郎『世界を揺るがした聖遺物』

 聖遺物について最近はソシャゲなどで登場することもありますが、本来はキリストゆかりの品、あるいは聖人の遺物全般を広く指す言葉です。中世では大聖遺物ブームで各国の教会が聖遺物をこぞって集める、まるでコレクションを形成するように蒐集していました。

 聖遺物崇拝の由来としてはロンギヌスの槍が歴代神聖ローマ皇帝によって受け継がれていたことに始まります。きっかけはカール大帝が西ローマ帝国を復活させた際に、キリストゆかりの聖遺物を手にして自らの正当性を内外にアピールしたことです。その結果、権威付けの意味合いで聖遺物が「利用」されるようになってしまいます。ここから急転直下で生々しくなる点が良いです。

 結果として眉唾ものも含めて様々な聖遺物が出回り、売買されていました。加えて十字軍がエルサレムから大量の聖遺物を持ち帰るとより加熱し、聖遺物巡礼ブームが起こります。聖人ゆかりの聖遺物を収めた教会ほど人気になるわけで、経済効果目当てで教会がこぞって集めるというわけです。

 しかし、キリスト教は一神教であり偶像崇拝は禁止とされています。そんな中で聖遺物礼拝が黙認されていました。著者は「遊びを許す寛容さ」と評していますが、難しい理論を教義に則って布教するより、多少の「ゆるさ」持つことが重視されたという視点は興味深いです。それに民衆が求めていることもシンプルな悩み解決ということも多く、教えが複雑に入り組んでいるより「信仰心を持って祈る」ことが広くキリスト教が普及した端緒なのかなと。その一環として聖遺物という文化(サブカルチャー)が広まっていったというのは面白いなと感じました。


以上です。ではでは。

 


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