小論文4

グローバル化という言葉を聞くと、日本社会には追い風であると単純に考えがちである。
生産年齢人口が減少する中で、日本経済は停滞している。それを補うための方策として、移民を受け入れ、現在多くの外国人従業員が、様々な業種で労働している。
しかし当然ながら、プラスの側面だけが存在するわけではない。むしろその逆で、マイナスの影響の方が大きいと言われている。日本人労働者の賃金が低下することや失業率が高くなるなどである。
そしてその中で最も懸念されることは、治安の悪化である。この問題点を克服しなければ、日本がグローバル化の恩恵を受けているとは言い難いだろう。
即効性のある解決策はおそらくない。しかし学校教育が重要な役割を果たすだろうということは、想像に難くない。キーワードは、異文化理解だ。
異文化を理解することほど、日本人にとって困難なことはない。長い間、単一民族社会の一員として存在してきた日本人には、異質なものを排除するという性質が備わっているからだ。
働く人が減ってきているので、東南アジアの人がそれを補ってくれますよ。明日から皆さん仲良くしてくださいね。というようなお願いが、簡単に浸透する日本社会ではないのだ。
言葉が理解できない、文化が理解できない。このことから生まれるストレスやプレッシャーから、失踪する技能実習生の割合が大きいと聞く。彼らは生活苦から犯罪者になってしまう者もいる。
半年前に、職場から失踪したベトナム人留学生たち13人が、豚や鶏を合計で1000匹近くを盗難した事件があった。これは、犯罪に手を染めた彼らを摘発すれば解決するような単純な問題ではない。なぜ技能実習生たちは、失踪しなくてはならなかったのか。彼らが技能を習得すべく適切な指導はあったのか。その背景が明らかになれば、日本人がベトナム人を差別していた実態が浮き彫りになるはずだ。
技能実習生は、単純労働するために日本に来ているわけではない。日本で技術を学び、母国に帰って社会貢献をすることが本来の目的である。しかし日本の企業は、人件費を抑えるために外国人従業員を雇用しているかのようである。
民族、性別、信条の異なる人間同士が、簡単にその違いを乗り越えて、心を一つにするというようなことはあり得ない。
学校教育が果たすべき責任は大きい。教育する側の資質、設備、教材の工夫が要求される。日本に労働者としてやってくる移民の側にも、日本社会にフィットする努力は絶対必要条件である。その一方で、受け入れる日本人の側にも、移民の立場を尊重する姿勢が必要である。どちらの側にも利益があるような構造が理想なのだ。

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