駄文② - 目覚まし時計をセットせずに寝ることを、僕は本当の“自由”と呼ぶ

突然始まる駄文集。
ずっと思考の片隅に居座り続けているのに、言葉にしようとするとすごく難しい出来事。そういうのを駄文として書き散らしておきたかったのでここに記す。自己紹介とかそういうの抜きにして、ただ誰かの駄文として読んでもらうだけで構わない。

1年前ーー。

僕は湯河原に引っ越した。
もともとは横浜に住んでいて、商売のための事務所兼倉庫も横浜に構えていた。最初に事務所として借りたのは、実家から徒歩1分で築30年くらいの家賃4.8万円の安アパートだった。四角形に直角三角形を乗せたような、いかにも雨穴物件だったけれど、創業期を支えてくれた思い出深い場所だ。だけど商売が徐々に大きくになるにつれてどうしようもないくらいに手狭になり、引っ越しを決めた。

なぜ湯河原にしたのか。
いくつか理由はあるけれど、一番の理由は、村上春樹氏の著作「騎士団長殺し」に登場する「私」と同じような生活をしてみたいと思ったからだ。

(その「私」は、妻との離婚話をきっかけに自宅を離れ、友人の父親である日本画家「雨田具彦」のアトリエに借り暮らしすることになった肖像画家である。そのアトリエは神奈川県小田原市郊外の山中にある。)

「私」が小説の中でどのような生活を送ったのだろうかと知りたくなり、実際に小田原あたりを車で巡り回っていたとき、その土地にとても魅了された。どうせ自営業なのだから、気に入った場所に住んでみようということで西湘南エリアで物件を探して引っ越したわけだ。

今の湯河原は観光地としては正直寂れている、でも住むにはとてもいい場所だ。海が近いから食料を買いにいくときは砂浜を歩いてスーパーへ行く。道中の無人販売所で大袋に入ったみかんや湘南ゴールドを200円で手に入れる。

かつて都内で星付きレストランをやっていたシェフなんかが地元に戻ってきてこじんまりと料理店をやっていたりする。イタリアンからアメリカンダイナー、ペルー料理店まで揃っているから外食するにも困ることはない。

今の僕は、概ね小説の「私」と同じように自由な生活ができていると思う。

そうだ、自由について。

僕の考える本当の自由とは、目覚まし時計をセットせずに寝ることだ。何時に起きたって構わない。けたたましく鳴るスマホのアラームもなければ、寝トチりして首が飛ぶようなこともない。鳥のさえずりで目を覚ますのだ(多くの場合は比喩的な表現だけど、本当に鳥のさえずりで目を覚ますことがたまにある)。

もちろん自由を手に入れるためには、自ら責任を負い、時には代償を払わなくてはいけない。だけど、まずは自由を手に入れること、そしてそれを維持するために自ら問題を解決していくこと。それが生き方の原則であるように僕は思う。

ーー。

それらしい文章のオチがないけど、駄文だから構わない。

研究活動に使わせていただきます。感謝します。