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毎朝、出窓に差す光に起こされて、うなだれてベッドからたつ。まず、トイレで用を足し、その後、手を洗うために洗面台に立つ。朝起きてから、たった30分の時間のほとんどは、洗面台の前に立っている。まだ眠たい閉じた目を開けるために顔を洗う。顔を拭き、目を十分に開けると鏡が見える。鏡の中に映る自分はどこか不機嫌そうだ。

私は私の顔を知らない。毎朝化粧をする時に顔をまじまじと見ているはずだが、自分の顔が分からない。まず、瞳の暗がりを閉じ込めるためにカラコンを入れる。化粧下地を塗り、コンシーラーで肌のくすみを隠していく。次にアイブロウで禿げた眉を整えていく。私は、自分の顔の上にあるシミや、黒い瞳を知っているが、自分の顔を知らない。化粧は続く。カラコンを入れた目がギョロっとこちらを覗く。くすんでどこか悲しげな目元にアイシャドウをのせ、明るく仕立てる。血色が悪く不機嫌に見える私の顔を明るく魅せる為に、頬を紅いチークで染める。私は私の顔が老けて見えていて、どこか悲しげなのも知っている。たしかに、自分の顔の持つ印象は知っている。だが、自分の顔はわからない。上唇の薄い口に、オーバーリップ気味に濃い赤い口紅を塗る。平たいおでこにはハイライトで煌めきを。私は毎朝、鏡に映る客体に化粧を施す。小さな口がコンプレックスの私は、どうにか口を大きく見せるために、口角にアイライナーで線を引く。鏡に向かって微笑み、笑った時にその線が不自然では無いかを確認する。私は上手く笑えているのだろうか。マスカラを塗る。たまに失敗して、目の中にマスカラの繊維が入る。痛い。鏡の中の女の目は充血していき、涙を流している。その痛みと鏡の中の女の涙は噛み合っている。

私が自分顔を見ることが出来なくなったのは、中学生になってからであった。自分の顔を嫌いになったのも、中学生になってからであった。自分に与えられた醜さのレッテルと、その醜悪を無価値と考える私の頭によって、自分から自分の顔を消してしまったのか。嫌いな自分の顔と向き合う毎朝の化粧の時間は苦痛で仕方がない。

ふと自分の顔を思い出して、その醜さに泣きじゃくり外に出れなくなる日がある。泣く私は余計に醜く、そんな日は、化粧も外に出るのも諦めてそのまま家に篭もる。夜にシャワーを浴びたあと、洗面台の前に立ち、髪を乾かす。一日の終わりに鏡の前でぼんやりと微笑む。同じ家に住む、私と共に行動する誰かが泣きながら醜くも微笑身を返した。

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