日記
6/24
自転車を漕いでいる時、道にランドセルを背負った小学生が2人いたので、減速して追い越そうとした。小学生は、私の自転車の音に振り返って端による。追い越しざまに一人の女の子が「お姉さん綺麗〜」と大きな声で言ってくれた。私は全てが救われたような気がした。
昔から美醜に苦しんでいた。
人と喋る時自分が醜い顔をして人を不快にさせていないか心配して、怯えながら会話してしまう。化粧をする過程で鏡に映る自分の醜さに涙が出て家から出れなくなる日もたくさんある。
宇宙は美しいからこそ神秘なのであり、花は美しいからされ価値があり、トイプードルはその見た目の美しさ故に寵愛される。私は美しくない自分の無価値に毎晩苦しんで、涙を流して目や頬を腫らして余計醜くなって言った。
今日、このランドセルを背負った幼い子どもの目に映った私は綺麗だった事実が嬉しかった。
全てが許されたような気がして、家に帰って泣いた。
6/26
バイト終わり、家までの帰り道を自転車で行くところに、鼻に朝顔の匂いが飛び込んでできた。
去年の夏は全てが閉ざされていて、ずっと家にいた。蝉の鳴き声で夏を知るくらいには、家から出ていなかった。
今年の夏は、去年よりはいい夏になるだろうと思った。
6/28
愛するものに理由を持ちたくない。それが音楽でも映画でも美徳でも恋人でも。
愛するものに理由を持ってしまうと、離れる時に惜しくなるわ愛していた時の理由ばかりが先行して、「もう愛せない」という感情はおいてきぼりになって、葛藤。なるべく感覚的にぼんやりと、漠然と自分の生きている世界を愛していたいなと思う。理屈抜きであなたを愛していたいのだ。
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