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ここがわたしのAnother Sky 【HIROSHIMA】


私が応援しているSexy Zoneさんの出演する番組、「れいわのへいわソング」が全国放送されることになった。


最初に中国地方ローカルでのみの放送で出演が決まった時も、全身に鳥肌が立つほどうれしかったし誇らしかった。別に広島出身ではないし、ゆかりがあるわけでもない。でもHIROSHIMAは私のアナザースカイなのだ。


就活の面接とかでもこすり倒したネタだけど、書きたくなったので個人的な思い出を書こうと思う。



さかのぼること1●年前、中学生の時のこと。私の通っていた学校は修学旅行の行き先に広島が含まれていた。平和学習の一環として修学旅行の前にははだしのゲンのアニメも見た(給食直前の授業で上映した先生の神経はどうかとおもっている)。でもまさか私の人生がこの後ガラッと変わることなど露知らず、将来はびようしになりたい!とくりくりの天然パーマの頭で考えていた。


そして広島に入り、わたしたち中学生ご一行様は広島平和記念資料館の見学へ向かった。館内では自由行動だったので友達と3人くらいで回ってみていたのだけれど、もう入ってすぐに、そこにある「もの」たちに目が釘付けになってしまった。

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特に覚えていることは、渡り廊下。

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広島平和記念資料館は東館と本館の2棟が渡り廊下で繋がっている。たぶん東館から入り、本館に向かうルートだったと思うのだけれど、しばらくその廊下が渡れなかった。廊下を渡った先の本館ににある「もの」が【被爆の実相】というものだったからだ。明るい渡り廊下の先にうっすらと見える照明の落ちた空間。人生で「足がすくんだ」というのにふさわしい経験は後にも先にもこの時と川下りで岩から川に飛び込んだ時だけだと思う(?)


しばらくもじもじしていた中学2年生のくりくりパーマの私。ついに腹をくくって廊下を渡る。そこで目にしたのは被爆者の遺品や写真、絵など、1945年8月6日に広島で何が起こったのかをありのままに見せている展示だった。



一瞬にして、影だけ残して消えてしまった人がいる。


広島の大地には真っ黒な雨が降ったことがある。


本当に直視するのが辛い、現実だと思いたくない、想像を絶する””事実””たちがそこにはあった。ただひたすらにショックだったし、目を背けてはいけないと思った。私たちと同じ”日常”を過ごしていた人たちの身に、確かに起こったことなのだ。いつ私たちの身に同じことが起こるともわからないことなのだ。そう思って半分泣きながらもう根性で全部見た。


メンタルよれよれになりながら出口に向かう頃、海外の人がいることに気づいた。アメリカなのかイギリスなのかカナダなのかはわからないけれど、白人で英語を話している3人組くらいのお兄さんたちだったような気がする。


「あのお兄さんたち、この展示を見てどう思ったんだろう」


純粋に気になった。


だっがしっかっし!!!

英語が話せん!!!(仁王立ち)


英語デビューは中学校からの歴2年目、そりゃもうディスイズアペン!アイキャンスピークイングリッシュ!(嘘)なレベルなんですよこれが。


そりゃもうもどかしかったし悔しかった。この機会を逃したら一生聞けないと思った。日本人だって他の国に散々酷いことしたけれど、原爆だけで見れば広島と長崎は「落とされた側」だ。そしてアメリカは「落とした側」の立場になる。おそらく「落とした側」のあのお兄さんたちは、この展示たちを見て、何を感じたんだろうか?


気になって気になって気になって木になって🎄気になって…



そこへ飛んで火にいる夏の虫(ひどい) 

前から英語の担任が歩いてきた!



 手招きする

 大声で呼ぶ

▶つかまえる (ピコンッ)


光の速さで捕捉して通訳をしてもらった。どうやら「衝撃を受けた」って彼らは言っていたらしい。その声を聞けてよかった。この展示を見て、「アメリカの原爆投下は終戦を早めた」「不幸ではあるが必要だった」なんていう人が地球上から1人でも減ったならば素晴らしいことだと思った。


そして同時に、とても悔しかった。


自分に英語力があれば。聞きたいことを聞き、伝えたいことを伝える。その力があればもっとお互いに理解し合えるのに。世界に溢れてる自分が知らないことをもっともっと知りたい。日本だって戦時中悪いこと沢山したんだろうな。海外の人の意見も聞きたいな。

その気持ちが強くなって、私の人生の目標は「世界中の人たちとコミュニケーションが取れる人になりたい」になった。



英語のやる気switchがバチコン入ったわたしの英語の点数はめきめき伸びた。好きなことにはとことんのめりこむ天賦のオタ気質なので英語を勉強するのは全く苦痛じゃなかった。(数学は反比例して永遠に苦痛だった)(やる気switch非搭載型) 

高校も英語課のあるところの普通科に入って、先生に直談判して特別に英語科の授業受けさせてもらったり合宿についてったりする(完全にいいとこ取りすぎ強欲な)普通科生徒だった。

大学は英文学部じゃなくて外国語学部が良かったから結構必死で受験勉強した気がする。数学は相変わらず底辺だったから全部国語と英語で埋めた。(埋めるのめちゃくちゃ大変な点数吸い込みブラックホールだった。)


英語って、「テストの点がイイ」と「コミュニケーションがとれる」は全く別物で、後者は大学に入ってからようやくそのステージに立つ勉強が始まった。TOEICで830点取れるようになって、短期だけど留学もして海外に友人が出来て。「世界中の人たちとコミュニケーションが取れる人になりたい」という目標のゴールがやっと見えた気がした。

なので、中学・高校・大学を「人生の英語フェーズ」として一区切りさせようと思って、大学4年生の秋に、ANOTHER SKY ””HIROSHIMA””へ一人旅に行った。

中学生ぶりに訪れた広島。平和記念公園も隅から隅までぶらぶらして、原爆ドーム見て、平和記念資料館へ。そこで、中学生の私の悔しさを晴らすべく、わたしは声をかけた。「How did  you feel?」



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わたしの人生は広島に変えてもらった。中学生の時に見聞きしたもの、ことって凄い人生に大きな影響を与えると思っていて。だからコロナで修学旅行やイベントの機会が奪われてしまっていることは凄く心配してる。早く日本の中を自由に行き来できるようになって、海外からもお客様を迎えられるようになって欲しい。1人でも多くの人に広島や長崎、沖縄に行って、勇気を出して資料館を訪れてみてほしいな。




最初の話に戻るけれど、Sexy Zoneは「れいわのへいわソング」で  ”MELODY” という曲を歌う。

明日のことも わからないのに
生きるのは難しいね
でも目の前の人くらいは大事に
僕ならできるはず


令和の現代において、わたしたちは全員、一人一人が外交官だ。簡単に海外に行けるようになり、地球の裏側に住んでいる人ともTwitterで友人になれる。自分に勇気と少しの知識があれば。

だからこそ、彼らが歌うように自分の目の前の人を大切にすることで、お互いを理解しようとすることで、過去の過ちを繰り返さないように未来を描けるんじゃないかなと思いたい。

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コロナ支援のチャリティーでファンを「守る」というメッセージを込めてくれた彼らのことだから、今回もめいっぱいの気持ちを込めて歌ってくれるんだろうなと心から楽しみに思う。


8月6日、全国放送では8月9日、広島と長崎にとっての忘れちゃいけない日に、「れいわのへいわソング」みんなご家族お子様揃って見てね(回し者ぢゃないよ)








ま、人生の英会話力のピークは大学2年かな!(おい)


~完~















追伸

戦後初、アメリカの大統領が広島を訪れて演説をした。みんなに見てほしい。私はこの演説を聞いて普通に泣いた。また来てねオバマさん。




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