やっぱり人の言うことなんか聞くもんじゃない。
子供の頃から数学が好きだった。
私は完全なる右脳タイプで、なんとなく物事を理解し、脳みそで言葉を順序立てせずになんとなく言葉を発する人間なので、全く理系だと思われないのだが、とにかく数学という分野だけは好きだった。
目的地までの道順を説明するときは、「あそこの道をシャーって行って。ヒュッってすれば到着するよ!」と擬音語だらけの言葉を並べる。
学生の頃は「何言ってんだかわからない。」と死ぬほど言われたし、私の発する言葉に対し、友人からは「mari語」という新しい言語が名付けられた。
大人になるにつれてこの短所は致命的だと思ったので、今では気をつけて言葉を発するようになった。
つまるところ、それくらい私は頭の中で物事を整理して言葉を発するのが苦手だった。なので全く他人から数学が得意に思われないし、数学科ということ伝えると
「嘘だろ・・・お前に論理的思考能力が感じられない・・・。」
と驚愕される。
それでも私は「math_love」とメールアドレスに入れるほどの基地外だった。
大学数学で大いに挫折を感じたのだが、やっぱり時たま恋しくなる時がある。
一つの事柄に対して、あらゆるパターンを全て網羅し一つ一つ検証し証明する数学という世界は、すごくまっすぐで純粋だと感じる。
シンプルに、数学の世界は美しいのだ。
それに比べ、目の周りの物事に目を向けると、証明できないのに押し付けられるが多い。
「女の子はマスターベーションしてはダメ」
「就職活動は黒いスーツを着なければダメ」
「大学4年になったら就職活動を行わなければならない」
「学校では友人を作りましょう」
何故そうしなきゃいけないのか、証明せよ。
そう言って、はたして綺麗に証明できる人はいるのだろうか?
数学の証明問題くらい、綺麗な回答はきっとでないんだろう。
数学の証明問題には文句はほとんど言えないけれど、物事のルールにはいくらでも穴がある。
数学ほど綺麗に網羅して証明できることなんてほとんどないんじゃないか。
正しいことなんて、数学の証明問題以外ないんじゃないかと本気でそう思う。
そう思うからこそ、人の話はあくまで「参考文献」にせよ。と思うのだ。
世の中正しいことなんてないのだから、人の意見だって正しいものなんてない。
だから人の言う通りに生きなくたっていいし、あくまで参考として聞いて、どうするかは自分で自由に選んだ方がいい。
「こうするべきだ」
「こうした方がいい」
愛を持って周りの人たちは私たちに意見を言ってくれる。
ありがたく受け取る。
でも言う通りにする前に、一度自分の中で考えてみる。
人に考えに依存するんじゃなくて、人の話はあくまで参考文献として聞く。
世の中正しいことなんてないんだから、自分で正しい正しくないかを検証して自分の中で「正しいと思うこと」をたくさん創っていくしかない。
怖いけど、自分で考えて生きていかないと。
自分で良いことと、悪いことを定義していかないと。
人の意見に依存するほど怖いものなんてありゃしない。
自分が自分でいなくなる恐怖。
怖いったらありゃしない。
だから私は、人の話はあくまで参考文献で聞くに限ると心底思うんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?