庭訓往来 一月五日

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春始御悅、向_{二}貴方_{一}先祝申候畢。富貴萬福、猶以幸甚々々、抑\\歲初朝拜者、以_{二}朔日元三之次_{一}可_{二}急申_{一}之處、被_{レ}駈\text{--}催_{二}人々\\子日遊_{一}之間、乍_{レ}思延引、似_{下}谷鶯忘_{二}檐花_{一}苑小蝶遊_{中}日影_{上}、\\頗背_{二}本意_{一}候畢。將亦楊弓、雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物遊\\三々九手夾、八的等曲節近日打續_{二}經營之_{一}。尋常射手、馳挽\\達者、少々有_{二}御誘引_{一}思食立給者本望也。心事雖_{レ}多、爲_{レ}期_{二}\\參會之次_{一}、委不_{レ}能_{二}腐毫_{一}。恐々謹言。\\
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正月五日 左衛門尉藤原\\
謹上 石見守殿\\
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春の始めの御悅おんよろこび、貴方にむかって先づ祝ひ申し候いおわんぬ$${^{※1}}$$。富貴萬福ふっきばんぷく猶以なほもって幸甚々々。そもそも歳の初めの朝拝$${^{※2}}$$は、朔日元三さくじつがんざん$${^{※3}}$$のついでを以て急ぎ申す可きの処、人々の日$${^{※4}}$$の遊びに駆り催さるるの間思いながら延引$${^{※5}}$$す、谷の鶯ののきの花を忘れ、苑の小蝶遊の日陰に遊ぶに似たり$${^{※6}}$$、すこぶる本意に背き候いおわんぬ。将亦はたまた楊弓ようきゅう雀小弓すずめこゆみ$${^{※7}}$$の勝負、笠懸かさがけ小串こぐしの会、草鹿くさじし円物まるものの遊び、三々九さんさんく手夾たばさみ八的やつまと等の$${^{※8}}$$曲節きょくせつ$${^{※9}}$$、近日打ち続き之を経営$${^{※10}}$$す。尋常$${^{※11}}$$の射手、馳挽はせびき$${^{※12}}$$の達者、少々御誘引あって、おぼし立ち給わば$${^{※13}}$$、本望なり。心事しんじ$${^{※14}}$$尽くしがたしといえども、参会のついでせんが為に、くわしく腐毫ふごう$${^{※15}}$$にあたわず。恐々謹言きょうきょうきんげん

※1 「畢」は単に過去を表す。ゆえに、『庭訓往来諸抄大成』は「おわんぬ」じゃなくて普通に「ぬ」と読んでくださいねと注釈を入れている。ここでは『新日本古典文学体系』の記述を優先し完全無視する。
※2 朝拝…正月の挨拶のこと。本来は天皇が元日に臣下の拝賀をうける朝賀のことをそう呼ぶが、ここではそうではない。
※3 元三…元日のこと。年・月・日のいずれにおいてもはじめの日であるためそう呼ぶ。
※4 子の日…正月。
※5 延引…先延ばしにすること。
※6 谷の鶯の檐の花を忘れ、苑の小蝶遊の日陰に遊ぶ…肝心なことを忘れ、時節の義務に背くことをそう言っている。鶯が寒さを逃れて谷に籠もり、檐、すなわち人家の近くは花が早く咲くのを忘れたり、本来庭の花にとまるべき蝶が暑さを逃れて日陰に籠もり、庭のことを忘れたりすることに由来する。よくわからない。そのような事実があるんですか?
※7 楊弓・雀小弓…遊戯用の小さな弓のこと。名前の所以は諸説あるが不詳。
※8 笠懸・小串・草鹿・円物・三々九の手夾・八的…いずれも射撃競技。「笠懸」は馬上から板的を射る競技。「小串」は四つ折りの紙を串に挟んだ的。「草鹿」は鹿の形の的。「円物」は半球状の的。「三々九」は『庭訓往来諸抄大成』には三度にわけ、九本の矢を射ることとあるが、『新日本古典文学体系』は「九つの手夾(的)」の意味とする。「八的」は的を八か所に立てて射ること。
※9 曲節…面白い趣向のこと。
※10 経営…物事を準備し、運営すること。
※11 尋常…普通に読めば「普通」という意味になるが、明らかに文脈上そのような意味にならないため『庭訓往来諸抄大成』いわく「古来人の不審する事」だったらしい。『新日本古典文学体系』は日葡辞書を引き、「礼儀正しい人」の意味ではないかとしている。
※12 馳引…騎射のこと。
※13 思食立給者…「(参加を)思い立ちなさるなら」の意味。
※14 心事…「心に思うところ」の意味。
※15 腐毫…腐った筆。禿筆と同義。自らの文章をへりくだって言う。

出典

永井如瓶編(1907)『庭訓往来諸抄大成 三版』、明治書院。
山田俊雄校注(1996)『庭訓往来』、山田俊雄・入矢義高・早苗憲生校注『新日本古典文学体系52 庭訓往来 句草子』、岩波書店。


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