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「チャレンジャーズ」、期待と違った良さがありすぎた

※めちゃめちゃネタバレします。


チャレンジャーズを見に行ったのは、単純に「三角関係が好き」という理由から。
三角関係ってよくないですか…?いや、自分が巻き込まれたら面倒だよって思うけど、全ての人間関係において「完全に純粋な二者だけ」で成立しているものってほとんどないと思う。だいたい第三者の誰かとの比較で成り立ったり、誰かがある人のことを好きだから自分もその人を好きになるという欲望の模倣みたいなもので成り立っているのでは。

本題に入る前に脱線していることを自覚しながら書くが、自分以外に対する人間への欲望がない(端的に言うと誰のことも好きじゃない)人間を口説くより、すでに誰かに片想いしている人間(もちろんその片想いが無理めである必要はある)を口説くときのほうが成功率って高くないですかね。無から有を生み出すよりも、すでにあるベクトルの向きを変えるほうが断然ラク。人間の感情もわりと力学と同じゃないかと思っているが、そもそも力学のこと詳しくないので適当なことを言っていたらすみません。

で、チャレンジャーズなんだが、見たら、その…全然三角関係ではなかった…男と男、女とテニスの関係であった…。というのと、最後のシーンがあまりにも理想的にハマりすぎていて、見終わった直後は「あまりにもうまくハマりすぎじゃない?」とか「もっと人間と人間のドロドロの関係を見たかった…」という気もした。
でもそのあとずっと反芻しているけど、この映画はこれで本当によかったのだ。

反芻しているときにTwitterで感想見ていたら、「不倫や支配を、否定も肯定もしない」と評されている方がいて、すごくよい表現だなと感銘を受けた。
どんな人間関係でも外野が口出すのって野暮ですよね。でも普通に我々は俗世でいろんな人間関係に口出ししてしまう。さらに、ありもしない関係を勝手に見出し、あまつさえ二次創作してしまう(すみません)。
一方で、当事者たちのほうも完全に2人の世界の中にいれば2人の関係は漏れることなんてないのに、大抵は周囲の誰かの評価がほしくなって、そのように振る舞うからバレるんじゃないの?と思う。
不倫や浮気を完全犯罪(犯罪とは思わないが)にするには、自分のこのあたりに対する欲望をちゃんと見極めていさえすれば、実はわりと簡単だと思う…もちろん相手も同じレベルである必要はあるけど。
このへんは田辺聖子先生の「雪の降るまで」を読んでください。短編ではマイベストかもしれん。

また話が逸れた。
チャレンジャーズは、タシが何度も「略奪愛」と言ったように、男と男の愛を、男たちのことなんか全然愛していない、テニスのことしか愛さない女が気まぐれに翻弄して奪ってしまった話なんだなと思った。だから、最後は男と男の関係が修復することで完全な円満を迎える。
あの、男2人だけがわかる合図の伏線があそこで回収されるのは鳥肌が立った。タシには想像もできないだろうし、きっとアートのクセなんか知らなかったんだろうな。

タシが愛してるのが男2人でなくテニスだから、どちらと寝ようが浮気でも不倫でもないと思ってしまう。
セックスが恋や愛でなく単に言葉にできないものを伝えるボディランゲージに見える。あなたが好き、でなく、私はテニスが好きで、そのためなら何にでもなるし何でもする、という言葉にならない気持ちの発露というか。

まぁいろいろ考えたけど、やっぱり登場人物の肉体美の説得力がすごいというだけかもしれない。
あの肉体と肉体が向かい合ったら、まぁセックスしますよね、したほうがいいです、するべきです、って思っちゃうもん。倫理をねじ伏せる肉体の美の力…美は暴力ですよ。その話についてはこちらも読んでみてください。

もう一回ちゃんと見たいな。しかしながら実は現在絶賛コロナ罹患中だし、夏コミの原稿やばいので実現はしなさそうだけど…。

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