見出し画像

noteで書けること、書けないこと

ご覧になっていただいている方には自明だと思いますが、今私はnoteというツールで、かつ実名で発信をしています。

そうすると実名は出せません。
例えば私の人生に関わってくれた人、尊敬している人、そういう内容は書きづらいです。
触れている投稿もありますが、かなり濁していますし、特定されるような情報(所属や年齢)に関しては変えています。
例えばですが、ソフトバンクの孫さんを尊敬している、という記事を書きたいと思ったとしても、なかなか書きづらいです。

あるいはいくつか投資をしているのですが、具体的な銘柄なども出せません。「記事を読んで買ったけど下がった!損した!」と言われてしまいかねないからです。

そうすると事実からはどうしてもずれてしまうので、私の書きたいことや伝えたいことがうまく伝わっていなかったり、誤解を生んでいることもたくさんあるんだろうな、と思いながら書いています。

実際、記事を読んでくださった方から個人的にメッセージをいただくこともあるのですが、
違う意図で受け取られてしまうこともありますし
一部の文言だけ切り取られてその人にとって都合のいいように受け取られてしまうこともあります。

あるいは、その人のことを書いていないのに「これって僕のことだよね?」と言われてしまうこともあります。

お世話になっている方が「SNSはしない、虚像を作ってしまうから」と話していて、その通りだと思っています。

オンラインとオフラインの境界線がなくなってきているこの時代に発信しないのは違うなと思いますが、そうすると『コンテンツとしての私』になってしまうというか、窮屈に感じることもあります。

情報発信だけをする、と決めればいいのでしょうが(カンボジア生活だけを発信するなど)、私の場合は哲学や考え、価値観、葛藤なども含めて書いていきたいと思うのでそういうわけにもいかないわけです。

書けることと書けないことの中でやっぱり書けないことの方が多い。

じゃあリアルな関わりの中なら誤解されないか?実名を出せるのか?と言えば必ずしもそうではないので、バランスなんだろうな、と思いながら、今後も筆を執り続けようと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

読んでいただけただけでも嬉しいですが、サポート頂けると泣けるほど嬉しいです。今後もっと執筆に時間をまわせます。ありがとうございます