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生まれ変わっても私は私を選ぶ


みなさんは生まれ変われるとしたらどんな人生を選ぶでしょうか?
どんな環境に生まれたいでしょうか?

生まれ変われるなら、という思いはみんなあるのではないのでしょうか。

もっと生まれた家にお金があれば
もっと身長が高ければ
もっと教育熱心な親だったら

より良い条件を求めるのは当然ですよね。

ただ、なにもかも恵まれていたら、自分のことしか見えていなかったように思います。

私自身は裕福で恵まれた家庭も貧乏で荒んだ家庭も両方経験しました。いつか詳しく書こうかな、と思いますが、エリートだった父が14歳のときに他界しているためです。

14歳までは
両親が厳しい家庭じゃなければ良かったのに
もっと恵まれた家庭だったら良かったな
別荘がある家庭だったら良かったな
となんとなく思い続けていました。

ただ、それ以降は
以前は裕福だったのに突然母子家庭になったこと
お金がなくて大学進学を諦めてくれと母から言われたこと
大学に進学してもお金にずっと追われたこと
女だから無理と決めつけられてきたこと

当時10代の私にとっては抱えられないくらい重くて、社会のせいにしたり、親のせいにしたり、あるいは『私が世界で一番可哀想だ』と思い込むことでなんとかやりすごそうとしてきたように思います。
(今思えばなんて幼いんだと恥ずかしくなりますね)

不幸には上を見ても下を見てもキリはありません。
ただ、本当は経験したくなかったし、今でもあの経験がなければもっと楽だったのに、と今でも思うこともあります。

ただ、その中で学んだこと、もがいたこと、
それが今の自分を形作っていて、それを否定したら私は私ではなくなる、そういうことを思うとき

あるいは、かつての自分と同じ悩みを抱えている人と出会ったとき、その経験を乗り越えた人と出会って「お互いよくここまできましたね」と言い合うとき

それでも私の人生、少しは悪くなかったな、と思います。その瞬間はなにかが報われる気がします。

それに、周りばかり見ていたらいつまでたってもゴールに辿り着くことはできません。

結局自分にできることは、自分でできることでしかないからです。

なんで私は女なんだろう、男はいいな、と自分の境遇を嘆いて、社会のせいにして、ピリピリして男と同じように働いていた時は、やはり周りも距離を置きますし、助けも得づらかったように思います。

私が22歳のときにアメリカのサンフランシスコでとあるミートアップ(交流会)に参加したとき投資家のおじちゃんからいただいた言葉があります。

『シリコンバレーではユダヤ系アメリカ人、男性、ゲイじゃないと成功できない、君は日本人で女性で若い、大変だよ、でも君は君のやりたいことをやりなさい。種をまきなさい、水をやりなさい、いつかそれが大きくなって枝をつけて、実がなる、収穫できる日が来るから』

自分に配られたカードは変えられない、でもそこから自分のゴールを目指せばいい。それを決めるのは自分自身で、誰かのゴールは目指さなくていい。

どうせ初めからなにも持っていないなら、どんな手だって打てるし、どんなリスクだって取れる。スピードも意思決定も早い。

なにもないからこそ強いと思うのです。

逆になにもかも持っているように見える人は、ある意味不幸かもしれません。自分の体験からしか学べないし、誰かの痛みを理解することも難しいように思います。

今と未来のギャップを埋めるために努力し続ければ、いつかその場所にたどり着けると思う。
たとえ、当初の自分が想像していたゴールじゃなかったとしても、自分の納得できる場所に。

神様が一の目しか出してくれないと嘆くなら、自分の手で六の目を出してやればいいと思う。
その先で幸せになれるかは知らない、ただ、納得はできると思います、自分の人生に。

だから、私は神様が目の前に現れて「どんな環境でもいいから選んでいいよ」と言われても、迷いなく答えられると思います。

「生まれ変わってもまた私にしてください」と。

読んでいただけただけでも嬉しいですが、サポート頂けると泣けるほど嬉しいです。今後もっと執筆に時間をまわせます。ありがとうございます