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大切だった人の話


私はずっと人生の中で前に進むためにやらなければいけないことがたくさんありました。

大学生のときは学費と生活費を稼いでいましたし、どうやったら社会を変えられるのかという課題に取り組んでいた(いる)ので海外でインターンしたり、学生団体をしたり、経営者の下で弟子入りしたり。いろんなことをやってきたように思います。起業してから今もそうですね。
親には頼りたくなかったので、お金がないと死ぬ、どうやったら生き残れるかというプレッシャーもずっと感じてきたように思います。

やらなければいけないことがたくさんある中で、私は普通の女の子であることを辞めました。
というよりも、出来なかったことの方が正解かもしれません。

私が出来なかったことは、「情」です。

この人と一緒にいたら自分が幸せになれない、と思ったらその相手がどんなに好きでも連絡を取らなくなりましたし、自分が挑戦しない逃げ道にしていると思ったら離れてきました。彼氏でも、親友でも。

好きだから、嫌いじゃないから、なんとなく一緒にいるという話はよく聞きます。
別に、なにも悪いことではないのです。でもこれは「情」ですよね。

「情」は、人と接していく中で、誰しもが必ずしも体験したことのある悩みの種です。

やることが多すぎたから、そうでない時間を過ごすのが、もったいなかった。嫌われてもいいし、傷ついてもいいから、とにかく前に進む時間や、余裕を作りたかった。


私は19歳のときの親友がいました。同い年で、互いの20歳の誕生日を一緒に過ごしたぐらい仲が良かった女の子です。 

初めて会ったとき、長袖しか着れないんだよねと言いながら腕のリストカットの跡を見せてくれたのを今でも覚えています。

彼女は大学も行かせてもらえなかったそうで、高卒でした。彼女の母親が宗教にはまっていて地元ではその宗教のお寺も運営しているとのことでした。

彼女自身は、資格をたくさん持っていて、勉強熱心で、真面目な子でした。

私たちは飲み友達として仲良くなって、週に一度は会っていました。

出会ったときから情緒不安定でしたが、夜の仕事を始め、彼女は睡眠薬や安定剤を飲んで段々おかしくなっていきました。この頃から何度も自殺未遂を繰り返していました。

ある日、飲んだ帰り道に通りすがった女の子たちに大声で絡んでケタケタ笑い、女の子たちが恐がっていたので、どうしたの?と物陰に連れていきました。

「え、いいじゃん〜いいから手を離して」と。

薬で焦点が定まっていない目、本当にそう思っているんだろうなと思ってしまいました。
その彼女の様子を見て、その日を境に会わないことを決めました。

もうこれ以上に一緒にいれないと思いました、彼女と一緒にいたら自分まで死んでしまうと。

私は2年間休学していた大学を復学しようとする間際で、自分自身もギリギリでした。

連絡はたまに取っていましたが、会わなくなってから1年後、彼女が亡くなったという電話をお母様からいただきました。

電話をいただいたのは赤坂のマクドナルド。夕方ぐらいに大泣きしながら電話を受けたのを覚えています。
妙に現実感がないまま飛行機に乗って、彼女のお父様に迎えに来ていただき、帯広の実家へ向かいました。

東京とは違う空港の小ささ、街の小ささ、彼女が生まれ育った街がどんな風だったか、彼女が亡くなってから知るなんて皮肉だな、と思いながら。

葬儀はもう終わっていて、祭壇だけがありました。
号泣して、彼女のお母様とずっとお話させていただきました。

私が彼女の誕生日に贈ったヴィヴィアンのネックレスはケースと一緒に彼女が持っていたので、形見にそれをいただいてきました。
これから先、私がつけることはないだろうけど、これを見たら彼女のことを思い出せるから。

今でも後悔します、あなたがあなたであるだけで価値があるんだと、もっと伝えられたらよかった。

まだ21歳だったのに、これからでしょう?あなたの人生もあなたの可能性も。
私には友達がいないなんて言うなんてひどいよ、私今ここにいるのに。でもそう思わせてごめんね。
ねえ、大好きだよ、お願い、あなたにもう一度だけでいいから、会いたい。

そう思っても、もうどこにもいないんですよね。
あれから4年もたつのに、まだ会えるような気がしてるのに。

でも、あのまま彼女と一緒にいてもお互いダメになっていたと思うのも事実。
ただ、私が大学に復学することを諦めて彼女と一緒にいることを選んでいたら、彼女はまだ生きてたかもしれません。

私はこれから先ずっと後悔して生きていくんだと思います。
彼女から離れたことも、彼女を救えなかったことも。
一生忘れないし、一生抱えて生きていく。あなたの分まで。

ねえ、重いよ?
私、そんなに強くないよ?
また笑ってよ。さやちゃんって呼んでよ。

本当にバカじゃない?死んじゃうなんて。
でもバカなのは私の方だね。もっと早く会いに行けばよかった。

右の道と左の道があるとして左ではなく右を選ぶとき、左を選ばない決断も同時にしています。

ただ、左の道を歩いていたら一緒にいれた人と離れた寂しさはあって。

それでも右を選ばなかったら得られなかったことを思い返して進んでいくしかないのですが、大切な人をなくす度に心が空っぽになっていく気がします。

「情」だろうが私にとってはすごく大切で愛してることに変わりはなくて、でもそれを守り切れるほど私が強くはなくて、手のひらから溢れてしまったものはどうしたらいいのか、今でも分かりません。

親友が自殺してまで大学を卒業することが正しかったのかも分かりません。

それでも今の自分が出来ることは、後悔も反省も全て背負って前に進むことしかないのだろうと思います。

そして、次に本当に大切なものが出来たとき、守り抜けるぐらい強くなりたい。せめてそうしないと過去の自分が浮かばれない。
本当にどうしようもないことや諦めなきゃいけないときがあるからこそ、自分が出来ることは精一杯頑張り抜きたい。

そして80歳のしわくちゃのおばあちゃんになって、私が死んで彼女に会えたなら言おうと思うのです。

「私あなたの分まで生きたよ。一緒に生きたかったよ、本当に馬鹿野郎」

そう言って殴ってやろうと。

違うね、あなたが痛いって言うぐらい抱きしめさせて。

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