見出し画像

出来ない理由を探して諦める人生なんてやめよう

先日、とある大企業で働いている男の子から「僕は普通の人生を生きてきたから君みたいな生き方はできない。そんな風に自分事として考えられるあなたがうらやましい」と言われました。

そのときに「私もずっとできないと言われたことを本当にやってきた、だからできるよ」と返したのですが、モヤモヤした部分があるのでその正体について書いていきたいなと思います。

なぜモヤモヤしたかと言うと、私自身、今まで色々な挑戦をしてきました。
日本でスタートアップをやったり、海外でインターンしたり、学費や生活費を稼ぎながら大学を卒業しました。

その度に「無理だよ」「どうせ出来ないから諦めなよ」と言われながらやってきました。
それに歴史上の偉人を見ていても、誹謗中傷されながら事を成してきたように思います。

やってもいないのに、出来ないと自分で決めつけて手を伸ばすことを諦めてそのくせ人のことをうらやむというのはずるいな、と思います。

妬みというマシンガンの銃口は常に自分に向けられています。
他人を羨むことも、目標にすることもいいと思います、ただそれが妬みになってしまうとダメだと思います。言われた人間はいい思いはしません、言われ続ければ距離を置こうと思います。

少し話は逸れましたが、本当は私も言いたいです。
「お金がないからできないんだよね、だから諦めたよ」だとか「出来ないよだって人脈がない」と言いたいです、でもそんなことを言っていたらいつまでたってもできないので、仕方なくやっています。

私が就職活動していた時に刺さった言葉があります。

将来起業前提で就職させて頂きたいですという話をとある企業さんに対してした時に

「君の起業するというラインはどこで決めるの?誰が決めるものなの?
ここまでのスキルが身についたらいいよって誰かが起業してもいいよって言ってくれるの?」

と言われたんですね。ご想像の通り、この企業さんとのご縁はありませんでしたが、その通りだなと思った覚えがあります。

「~だから、できない」ではなくて。「~するんだ!」があって、ではどうするか?を考える。
たとえば、すごく些末な例ですが「部屋が狭いからこれは買えない」ではなくて「絶対これを買う!だからどこへ置くか考える」っていうこと。
この小さな発想の差が、いろいろなことに大きな差で出てくる気がしています。

私の人生を大きく変えたのは、自分の決断だけでした。
もちろん、出会いや助けてもらったことは運でしかないのですが、自分で「こっちの方向へ行くんだ!」と決めなければきっとそういう出会いも、運も、回ってこなかったと思います。

そして、逃げずに向き合ったそのときに爆速で成長します。
やはりなにかを言い訳にしていると前に走る力が弱くなるというか、周囲を見ながら走っている状態なので、全速力は出しずらいなと感じます。

私は20歳ぐらいまで前者の発想で生きていました。

私は忙しいから。
社会が悪い、親が悪い。
資本金がないからできない。
仲間がいないからできない。

そうではなくて、「何が何でもやる!ビジョンを事業として形にする!」

そう考えてすべての考えをひっくり返したら、今すぐやるべきことが見えてきました。

自分で、こうするんだ!と思う力が弱いと、本気じゃないとどうしても、「そうできない理由」を並べたくなる。それが人間。
でもその「理由」を大事に大事に抱えている間は、何も変わらないんだってこと。

いつか独立したいと言いながら、何も生活を変えなくて、できない理由ばかりを並べて、このままでいい理由も並べているなら、人生の何も動きません。

人生は、動かす意思と、方向性があれば、動き出すんだから。

そんなことを書きながら、私自身は、次の人生について今とても悩んでいて自分に言い聞かせるために今これを書いているようなものです。

人生のゴールなんてないし、理想の暮らしなんかもない。

どこに向かって自分が生きていくか、

その舵を、つねにとり続けるだけなんだなと。

とはいえ今やりたいことも理想もたくさんあるので、これからの人生でどうやってかなえていくのかこれから考えようと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

それではまた別のnoteでお会いしましょう。


読んでいただけただけでも嬉しいですが、サポート頂けると泣けるほど嬉しいです。今後もっと執筆に時間をまわせます。ありがとうございます