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「さやちゃんだから出来る」という言葉が嫌いです

先日、一つ年下の女の子から言われた言葉で腑に落ちなかった言葉があります。

その日はどうしてもラーメンを食べたい気分で、2人でラーメン屋さんに向かうバスの席に座っていました。
そのときに(私が)女の子に恐がられてしまうことが多いんだよね、という話をしました。

その話はまた別の機会に置いておくとして、その時彼女からこんな風に言われました。

「さやちゃんはすごいんだよ、他の子たちが出来ないことを出来ちゃう強さを持ってる、他の子たちが乗り越えられない壁を越えられちゃうの。
だから女の子に恐がられるんだと思う、それは分かっておいた方がいいよ」と。

そのときに違和感を感じたので、その違和感について書いておきたいと思います。

私は一度も「私だからできる」と思ったことはないです。

むしろ、人よりもできないと思い続けてきました。

たとえば大学受験のとき、人よりも覚えが悪いからたくさん失敗してたくさん時間をかけてやっと人並みになったし
仕事だって全然できなくて、怒られながら周りに迷惑をかけながらやってきました。

そもそも人よりできないと思っているから、尚更なにかを始めるときは恐かったし、やってみて案の定できなくて、でもここでやめたなんてダサいからやり続けてきただけ。
そうやっていると、人に助けられたりして、活路が見つかって、尚更諦められなくもありました。

私が今までどんな努力をしてきたのか、全然見ていなくて、
そして自分自身で努力もしようとは思わなかったんだろうなと思ってしまいました。

それ以前に、私だからすごいなら、それが理由になるなら、あなただからすごくないのか。
絶対違う、みんな同じ土俵にいて、なにもなくたって自分を信じて、やるかやらないかだけ。

もし、あなたの周りになにもかも上手くいっているように見える人がいるのだとすれば、それはその人が死ぬほど考えて、行動しているだけです。

その人の裏にある、私自身はまだまだだと思っているのですが、心底仕事ができるな、尊敬するな、と思う人は、やはり一定期間アスリート並みの努力しています。

本当は自分に自信なんてない、でも自分が一番信じないと誰も信じてくれないと思うから。

なにかを積み重ねた分だけ、あなたの背中を押してくれるから。

いつか、あなたが憧れるあの人は、本当はあなたとなにも違わないと気づくから。

さて、あなたはどうしますか?

それでは今日はこの辺りで。

また別のnoteでお会いしましょう。



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