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宮本常一著「忘れられた日本人」で描かれる日本人は忘れられたどころか、今まさに生きている現代人そのものだった

ネット記事で紹介されていて気になりさっそく読んでみたのだが、非常に興味深くまた学びの多い本だった。
この本は東京などの都市部ではなく、まるで取り残されたような地方の村落を舞台にしているのだが、その中で、大きく二種類の人の姿が描かれている。
一つは「文字を持たない人たち」、もう一つは「文字を持ち知性をもった人」。

前者は圧倒的大多数のごちゃごちゃとした集団の中で、さしたる志も倫理もないままに、全体的にヒト科の生き物としての「生態」を為している。

後者は抜きんでた知能により「いかに効率よく作物の収穫量を向上させるか」とか「村を発展させ近代化させ誇らしい故郷として次代に引き継ぐか」など、私利私欲ではなく郷土愛や奉仕精神から学問をよく学び、得た知識や教養を生かして重要な役割を担い、村に貢献した。
著作の中で紹介されている「文字を持つ伝承者」は、一人は島根県の田中梅治氏、もう一人は福島県の高木誠一氏の二名のみだが、地方にはこのような好学の人が少なからず存在していたそうで、そういった知識層は互いに文通や往来で交流しており、田中梅治氏などは俳句を嗜む趣味から正岡子規などからも師事を受け交流があったようだし、高木誠一氏は農業学や民俗学の優れた知識を持つ人として、柳田国男氏や石黒忠篤氏などを始めとした多くの優れた学者が彼の元を訪れたそうだ。

現在の日本では「歪んだ平等感」から、IQのような知的能力の指標を軽視・否定し、「みんな同じ」であると、能力の「差」自体から目をそらそうとするが、人の集団の中で大体50人に1人くらいはこういう知能の高い人がいて知識層同士でつながり合い、それが村と外界を繋ぐ窓口となり、村を発展に導いていく役割を担っていたというのは、こういった資料からみても明らかな事実であり、それを否定する必要性は全くないのではないだろうかと思う。ましてやこういった知能の高い人というのは、決して「経済的成功者」ではないのである。本人は様々な役職を担いながらも威張り散らしたり人を馬鹿にしたりすることもなく、素朴で農業や勉学を心から楽しみ、また自分自身が村に新しいものを提唱する時にもそれによって人が損害を受けては申し訳ないと強い責任感を持ち、村が思わぬ損害を受けた時には自腹を切って補填し、自分自身は質素で決して裕福ではなかったと書かれているほどなのだ。

現代社会の「人はみな同じである」とする個体差を無視した横並び願望の標榜は、「出来ない者」を苦しめ、また「ずば抜けた者」の存在を許さない。最近高IQの子供の生きづらさを解消したり、また能力をどう伸ばすかと模索するような取り組みを記事で読む機会も多いが、その中で「普通」という圧倒的大多数の人たちの劣等感や妬み嫉みからくる、マイノリティへの偏見や差別や敵愾心というものはものすごいものがある。
それは彼らにとって高IQが何か「得体がしれず」、「贔屓」され、「富を独占する者」であるのではないかという「恐れ」からくるのではないだろうか。
しかしこの本を読めば分かる通り、本来人類の中で50人に1人程度の知能の高い者がその集落を発展に導く役割を担い、富を独占するどころかむしろ人々に富をもたらしてくれる存在であったことは明らかである。
もちろんその為には知能よりなにより、その人の持つ人間性や深い愛他精神が重要だったことは言うに及ばずだが、育て方として、人の集団の中で受け入れられのびのびと育てられた子と、理解されず叩かれ排斥されて生きのびた子とでは、人間社会に抱く感情は天と地ほども差があるだろう。虐められて育った子供は集団社会から距離を置くことを望み、どれほど知能が高かったとしてもそれが社会に貢献されることはない。

この本の中でも描かれ、そして現代社会でもそうだが、「経済的成功者」とは決して高IQでも、人格の優れた人というわけでもなければ、慕われていた・服従していたという話でもない。
特に江戸時代までは士農工商という身分制度があり、文明開化以降も人々は長らくそういう身分の差というものを引きずって生活していたが、一方で庶民の強さ・反骨精神のようなものもあり、重要な話し合いは身分の差なく皆で意見や経験談などを持ち合い、結論や方向性が決まるまで何日でも昼夜を問わず話し合う様子や(これは300年ほども続くような習慣だったそうだ)、「殿様」を嘲笑するレジスタンス活動が行われた様子や、また威張り腐って許せない役人を山かごで運ぶ際に、示し合わせて川へカゴごと突き落とし殺害したというような話までが記録されている。
悪い役人、威張り散らした権力者というのは人々から疎まれ恨まれて、何かの時には誰も助けることは無く見捨てられ、それが文字通り命取りになるようなことも少なくなかったようだ。

昨今は物質的価値観や経済力ばかりが重要視されており、経済的強者のいうことであれば黒を白と言っても盲従し、足でも舐めるほどに服従する馬鹿が散見されるが、そういった意味では現代社会の馬鹿は昔の馬鹿よりよほど退化しているようだ。いくら経済的強者の足を舐めたところで一円の金銭も得られるものではないだろうに馬鹿め。

日本人のルーツとして、北からの流入、南からの流入、朝鮮半島経由での西からの流入の三つのルートがあるようだが、著者も東北地方と西日本とでは明らかに人々の村社会や生き方が違うことを指摘している。驚くべきことは特に近畿地方の性の乱れである。ルイス・フロイスは「日欧文化比較」の中で「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない」と書いているそうだが、聖母マリアが処女懐胎でキリストを産む様な狂った処女信奉のあるキリスト教圏の男からしたら、当時の日本女性の自由奔放な生き方には非常に驚いたことだろう。
女性の一人旅が当たり前のように出来ていたのも、女性が行きずりの性行為を特に忌避せず、人によってはよい気晴らし程度に考えていたことが根底にあったからかもしれないと解説の中で指摘されている。

横溝正史の「八つ墓村」のモデルとなった岡山県「津山三十人殺し」では「夜這い」の風習が取り沙汰され奇異の目に晒されたが、この「夜這い」というものが「忘れられた日本人」の中では非常に詳細に描かれている。
江戸や東京のような最先端の文化や情報が入り娯楽も充実していて人の交流が盛んな都会と違い、殆ど新しい文化や娯楽も無く、日々朝から晩まで田畑を耕したり木を切って炭を焼いたり、漁師をしたりしているような人たちにとっては、昼間たまたま見かけた新しい女の家を突き止めては夜中に忍び込んで性行為を果たすようなことが唯一の娯楽だったのだろう。

娘に生理が来ると赤飯を炊いて祝ったそうだが、同時に若い男衆が夜に忍んでくるぞと親が娘に伝えたというのだから驚きである。大体親や祖父母は奥座敷で寝て、子供は戸口の近くに寝かせられており、忍び込み寝込みを襲いやすくなっていた。女の処女性を重んじないどころか、親公認の乱倫だったわけだ。
こういう環境の中で育った女性が性に奔放だったとしても全く不思議は無いが、一方で彼女らが本当の意味でそれを望んでいたのかどうかは疑問でもある。都会のように風俗の無い環境で、望むと望まざるとに関わらず周年繁殖期の男の性欲を受け入れざるを得ない性的役割を担わされていただけだったのではないかとも思うのだ。

著作中には夜這いによって若い娘が望まぬ妊娠をし、堕胎の術も無く川の中で腹を冷やしたり、木の上から飛び降りたり、腹を強く打ちのめしたりと自傷行為で堕胎しようとするも、未熟児の状態で生まれてきたという人の身の上話も記録されている。父なし子として祖父母に引き取られろくに母も知らず、学校にもいかせてもらえず放置子で育ち、博労という馬や牛の売買をして生計を立てていたようだが、詐欺師紛いの商売で、知らぬ父親同様に性欲が異常に強く方々で色んな女に手を出して歩き、最後は失明して乞食として暮らしたそうだ(ちなみに性病は粘膜感染するので、病原体のついた手で目をこするなどして目に感染し、放置していると失明することがある)。

大正から昭和にかけて青年会運動や官憲の取締りによって夜這いの風習はほぼ無くなったと言われているが、地方によっては昭和50年代くらいまで続いていたという話も有り、私も地方住みで日頃自然豊かな地方での暮らしに満足している身ではあるが、(地方によっては)僅か40~50年前まで不法侵入でろくに知りもせぬ男が忍び込んできて強姦されるようなことがまかり通っていたのだと聞けば、あまりの土人ぶりに身の毛がよだつ思いがする。特に高齢者たちの間で、田舎が馬鹿にされる理由が分かるというものだ。倫理も糞もあったもんじゃない。山猿そのものである。

他にも、ハンセン病になった盗人の男が、子供の生き肝を食えば治ると思い込み子供を殺して食った等という驚くべき記述もあり、50年前100年前という日本がどんな状態だったのか想像に難くはない。日本は識字率が非常に高かったと言われるが、それはやはり寺子屋などがあり子を学ばせる親があってこその話で、地方で閉ざされた環境の中で暮らす人々の多くは、字も読めず学も無く、倫理も法律も関係なく、迷信や殺人や犯罪が横行し、それが「当たり前」だったのだろう。
1万人あたりの犯罪認知件数は50年前の半分になっているというデータもあり、現代の日本の治安の良さや住みやすさというものは確かだが、それでもここ50年程度の話にすぎない。50年という年月で変わったのは、義務教育による子供たちへの教育やインフラ、テレビやインターネットによる情報の共有など目覚ましいものがあるが、一方で人間自体が「進化」するにはあまりに短すぎるとも感じる。

この本を読みながら、その中で語られる「文字を持たない人々」や「知性ある人」を見ながら、私は今まさに世の中にあふれる現代の人たちと変わらない姿をそこに感じた。服装が変わり、生業が変わり、移動手段が変わり、社会システムが変わり、様々なものが発展した中で、中身だけは50年100年前と変わらぬままで、彼らは自分たちの愚かさを「これが人間だ」「人間はみんなそうだ」と口々に言い立てる。その中には夜這いや人食いや子殺しや育児放棄や堕胎や殺人やレジスタンスや乱倫や裏切りや窃盗や詐欺や暴力が紛れ込んでいる。

成程それが人間なのだろう。



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