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キレてないデス代

『大人ってなんだ?』と考えた時、『セルフコントロール出来ることかな?』と思うんですけど、『人間は感情の生き物である』というところですね、問題になってくるのは。

『良いことも悪いことも同じだけ起きる。』

悪い時ですね、考えないといけないのは。悪いことが起きて、そん時に自らの感情をコントロールすることで『堪忍のならぬ堪忍するが堪忍』をどう実践できるかにかかってると言っても過言ではない。

『堪忍』つっても、自らに『堪忍してるんだ!』と言い聞かせているだけかもしれないし、堪忍できたかどうかなんて後になってみないとわからない。

たいがい何かの拍子に思い出してまた腹が立つもんだしね?

つーことは結局、『堪忍なんかできるかボケ!』ってことなんでしょうし、イエス・キリストだって『許せ』言うてますし、そう簡単なことではないんでしょう。

『感情のまやかし』

元来、悪口ベースで生きてるし、ちょっとした嘘は何のためらいもなくスッと吐けるので、自分の感情にウソをつくなんてことに何ら後ろめたさも躊躇いも無い。

堪忍袋のキャパシティーなんて人それぞれで違うし、キャパ超えの辛抱を繰り返せば、思わぬ肌トラブルに見舞われたり、精神だってクリーンに保てなくなるでしょうしね?

それでも何とか折り合いをつけてやってはみるものの、肉体的にも精神的にも老いて弱体化してくれば、今まで普通に出来てたちょっとした辛抱だってだんだん苦痛になる。

『…いや、ちょっと待て、なんでこっちが辛抱せなアカンねん!』

人間という生物が辛抱できる能力は、60歳を超えるとほぼ6歳と同程度に委縮してしまうらしい。

『小学校1年生の授業態度』と、『年寄りの葬式での私語』と比べてみれば確かになるほどな☆

『キレさせたら大したもんですよ』

感情の生き物である人間としてですよ、せめて自分にウソはつきたくないので、腹の立つことがあれば後先考えずに自分の感情を爆発させてみようかと思う。ここへ来てのなかなかヘヴィな実験ではありますけどね?

『大人気ない』『子供っぽい』『ガキでもあるまいに』等々の批判は甘んじて受けます。

そもそも他人のエゴや身勝手な言動に対して、こちらは必ず冷静に対応しなければならないという理由だって、ましてやそんなルールだって無いんですから。

『お客様が神様でしたなら、目の前のこの小さな人間の苛立ちやら全部、受け止めてくださいますよね?』

神さまがエゴむき出しでやってくるなら、人間さまだってエゴむき出しで行く。『なんじゃオマエ!』『オマエこそなんじゃ!』って、まるで小学生のケンカをいい歳こいて真正面からやってみる。

だってしゃーないよ。こっから先はどんどん辛抱できんようになるの確定なんですから。

もしかしたらギャーギャー言うて走り回ってるだけでクソ面白かったあの頃のエキセントリックな精神に戻れるんかも知れませんけど、積み上げてきたものが多いだけに失うものの方が多いでしょうけどね?

やってみるか。いや、やめとくか。

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