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ミラコー☆

随分と昔の話になりますが、『ペイ・イット・フォワード』という映画がありました。

ある子供が『世界を変えるにはどうすればいいか?』と先生に尋ねられ、『誰か3人にいいことをしてあげる。そのいいことをしてもらった人は、また誰か3人にいいことをしてあげる。それを繰り返していく。』というものでした。

『善意の逆ねずみ講』ですね。

とかく現代人は『誰かに何かをしてもらう』ことばかりを考える傾向にあります。

そのためには、いっぱい金を稼いでその対価にしなければならない。だから今のうちにいっぱい働いていっぱいお金を貯めておく必要がある。

そうですね。『サービスを受ける』というのはそういうことです。

多く稼げるようになれば、もっと稼ぎたくなるもので、当初の『誰かに何かをしてもらうため』というのはもうどうでもよくなって、いつからか『お金を貯める』ことこそが目的になってしまう。

貯めたら貯めたで、現在までに持ち得たこの財産が何かのきっかけで一瞬で消失してしまう恐怖に苛まれるようになる。

この大きな財産を守るためにより高くより頑丈な壁を作って防犯と保険に大きなお金を使う。

そうしてやっと手に入れた安心でしたが、やがて来る『老い』に対して今度は恐怖を感じるようになる。

今まで簡単に出来たことが出来なくなる。新しいシステムを理解するのが難しい。今までみたいにお金も稼げなくなってくる。貯めたお金は目減りしていく。ジワジワと迫り来る終末への恐怖であります。

『祈り』

ヘルマン・ホイヴェルス神父は『老い』について、『手はやがて何もできなくなるが手を合わせて祈ることは最後まで出来る。』と言っています。

祈りは、どんな人にも出来て、いつも小さな奇跡を生み出します。

高い壁の中で恐怖に怯え死を迎えるだけの人が、誰かのことを思い、誰かの幸せのために祈ることが出来ることが奇跡です。

『誰か3人のために祈ること。それを毎日くりかえすこと。』

人間はさもしい生き物で、祈りを『自分にとっての良い結果が伴うこと』で達成の条件としますし、大逆転勝利を奇跡と勝手に設定しています。

良い結果が欲しいのであれば、そうなるように努力する以外に達成されるハズは無いんですけどね?

なので『祈ってもどうせ良い結果にはならない。』と思ってる人には奇跡が起きない仕組みになっています。

どの世界のどの神様も『そうしたい』と思ったようにするだけの存在でありまして、決して人間のお願いを厳選の上で叶えてやるという仕事に就いてるワケではありません。

なので、神様に『もっと儲かりますように☆』とお願いしても『知らんがな』でありますね。つまり、神さまに自分の利益を願っても実効性には乏しい。

ま、それはそれとして、結果はどうあれ、どんな人にも自分の意思で『祈る』ことで、どこかで小さな奇跡を巻き起こすことが出来るかも知れない。

老いて手が動かなくなっても祈ることは最後の最後まで出来ますからね?

奇跡は人生の最後の最後まで生まれるかもしれない。起こせ!奇跡☆

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