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ガンだーら

生きてるうちは『あれってどういうことだったのか?』とか色々と考えを巡らしたり、そのせいで余計なことまで考えたりとか、考えたところでどうにもならないことの虜になってしまったり、後になってふと考えたときに『なんであんなムダなことをしてたんだろう?』と残念に思うことがある。

時間のムダだと後になって理解することもまた時間のムダである。

『最近、色々と考えることがある。』と表現するときは決まってネガティヴだったりしませんか?

一方、ブラック魔王が『悪いこと考えたぜ!』って言う時は決まってポジティヴだ。

ノドの検査で内視鏡を入れて、『治りかけてますけど副鼻腔炎ですね』と言われて、『それでノドは?』って聞かなくても、恐らくノドの心配は無いってことなんだろうな…って思えれば、それで心配を一つ消してもいいという配置法であります。

また一週間過ぎたけど治ってないんよね?

治りかけの副鼻腔炎に2週間分もの薬を出してもらってるんで、ちゃんと2週間飲み終わってから考えよう。じゃないと『ところで、ちゃんと薬飲みました?』ってなるもんな?

ポジティブに考えるとそうなんだろうが、ネガティヴに考えると『副鼻腔炎とまた違う原因があったんじゃないの?』って、今そっち寄りよ。

『セカンドオピニオン』

もしガンと診断された時に、今後の治療について相談もあるでしょうが、その診断、治療について納得いかない場合はセカンドオピニオンを求めた方がいい。それでも同じ結果なら診断に対する信用は更に高まるしね?

もし違った診断が出た場合、どちらを信用するかは『ポジティブ』であるか『ネガティヴ』であるかでわかれる。

そもそもポジティブであれば最初の診断で概ね心づもりはあるでしょうし、ネガティヴであればセカンドオピニオンですら信用しない。自分のイメージに近い診断をしてくれるまであがき続けるでしょうね?

そら誰だって心配なく生きたいし、出来れば健康で過ごしたいし、不安の種は早く取り除きたいものでありますよ。

どんなに医療が進歩して科学が発達したって人間の命に限りがあることは変えられん。不老不死なんてある意味『人間としての死』だからね?

生まれたからには、この命の有限の時間をどうやりくりするかしかないんだし、もしここで残りの期限が概ね決まったんだとしたら、その終わりの日まで通常営業を続けていくことがやっぱりポジティヴなのかな?とは思う。

全てをかなぐり捨ててあがなって抵抗し続けるのも人間の生き方としては正しいとは思うけどね?

その時間を、どうせ死ぬのに、その死に抵抗するだけに使いたくはないかな?

いや、ガンじゃないでしょう。たぶん。え!違うでしょ?

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