死に夢を見る

死にまつわることをつらつらとエッセイ風に。

葬式って平和だなーと思う。
犬神家みたいな葬式現場もあるかも知れないけど…w
その人はもう苦しんでおらず、ただ静かに横たわっているだけで。
別れを惜しむ人たち。
もう、何も出来ることはなくて。
全員がただ、冥福を祈り、天国だかあの世だか三途の川の向こうだか、
地獄だか煉獄だかどこかしらへ、魂を見送る。
もはやそれしか出来ない。
偲ぶ。
思い出話をする。
精いっぱい美化した弔辞が読み上げられる。
ありがたいお経や祈りの言葉が捧げられる。
みんなが、死、というものの前に、黒い服を着て、集まっている。
白い花に囲まれて、しずしずと、炎の中へ消えていく。

火葬場のうねり、煙、熱さ。
生きていたものが、愛しい炭素の塊が、灰になっていく。

エッセイってか、詩みたいになってきた。
詩は意味不明だから頭が鍛えられるらしい。ふむ。

話を戻す。
死について、生者の世界のことは段々とわかってくる。
お葬式の作法、異文化の死生観。
でも、死ぬことについては、死なないとわからない。
生きているうちは死んでいないので、やっぱりわからない。
死について知ってる!って人がいたら、嘘つきだ。
臨死体験?うーん。
名前がラザロなら、うん、いいよ、信じる。

あるいは、みんな前世の記憶というのがどこかにあって、
死のトンネルを抜けて産まれてくるのだろうか。

細胞の全滅を避けるために、分裂を繰り返す。
生きてるうちに分裂しようとして、性欲が湧き出る。
私たちは、アメーバとそう変わらない様子で、生きながらえてきた。

生きてるうちに死んだ人間はいない。
完全に死んでから生き返った人間もいない。
(キリストは本当に…?)
死は前人未到の地でありながら、
誰もが辿り着く卑近な場所でもある。
死は好奇心の対象だ。
そして、夢も、憧れも、幸福も。
死はあらゆるものをあてがわれる。

決して手が届かないのに、いつでも触れられる場所にある。
食べたら戻れない果実。
甘美な毒。
人は死に魅了される。
耳元で甘い言葉をささやくこともあれば、
どこまでも追いかけてきて果てしない恐怖を与える。
美しく、儚く、尊く、近く、遠い…。

死してなお、人には階級があるらしい。
というか、現世とは違う階級で分け直されたりするらしい。
そうまでして分類したがるのは、何故なのだろうか。
いいじゃないか。
いいじゃないか、もう。

調味料が同じタイミングでなくなりかけていて、
つい、醤油と味醂と酢(と豆乳)を一気に買って、
遠めのスーパーから歩いて帰ってきました。
一度で済んでよかった。うん。
少し良い味醂にしたけど、飲んだら味はふつうでした。
煮物に使ったら、また違うかな。
あと、最近インスタントコーヒーと間違えて粉末コーヒー豆を買ってしまって、
仕方なく百均でドリッパーとフィルターをゲットして淹れてみたら、
インスタントと全然違ってびっくりしました。
ノンカフェしか飲まないので、こだわりゼロだったんだけど、
ノンカフェでもやっぱりドリップした方が美味しいのね。

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